無意識日記々

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ヒカルの半分の歳の歌手の話から

先日のグラミー賞は主要4部門をビリーアイリッシュが独占するというクリストファークロス以来38年振りの快挙を成し遂げたんだとか。ふーん。

ビリーといえば昨年環境問題を取り上げた楽曲とMVが話題になっていた。10代の少女がそういったイシューに触れると日本で大人気ない大人がムキになるのをしこたま見られるのだがそれはあんまり笑い事でもない。流石にこどもに政治的なアレコレを指摘するとなると末期症状だと思う。(被)選挙権無かったりする人にそんな風に当たったりするのはねぇ。

となると、こどもですらそうなのだから、大人だと全く容赦無い。日本では益々政治的な歌は歌いづらくなっている。まぁ、RCサクセションの「サマータイムブルース」のエピソードを持ち出すまでもなく昔から日本はそういうの難しいんだけどね。インターネットの普及した現在では尚更どころの話ではなくなっている。

環境問題、といえるかどうかはわからないが(一応管轄は環境省だろうかな)、ヒカルが昔日本熊森協会に興味を示していた事もあった。地球温暖化原発問題に較べると傍流というか斜め上過ぎるというか兎に角個性的なチョイスではあったが、くまを通せば政治も宗教も語れるようになる、というのがくまのこ教とくまちゃんの肌触りは世界一党の教えるところだ。どこまでが冗談でどこまでが本気なのかよくわからないところがいい。匙加減次第でどうとでもなる。

私としては科学の問題でしかないものを敢えて“政治化”する人達は中世に還ってくれとしか思えないのだが現実は斯くの如しでな。歌詞を伴う「歌」に宗教色と政治性は切っても切れない関係にある。バッハの受難曲だって宗教音楽だ。でも出来れば、いちリスナーとしては、そういう俗世のなんやかんやを忘れさせてくれるようなロマンチックな歌を聴いていたい方なので、危ない橋は渡ってくれるなとついつい思ってしまう。でもいざヒカルが何かどこかで踏み込んできたら、それはそれで面白がってしまうんだろうな自分は。業が深いぜ。ファンが増えたり離れたりすんのかなー。あーあ。