二人視点解釈だと『If I turn back time, will you be mine?』がうまく解釈できない、という話だったわね。
結論から言ってしまうと、恐らく、それについては「それでいい」或いは「仕方ない」というのが正解なのかなと思う。元々一人視点解釈と二人視点解釈のどちらともとれる歌詞を書いている時点で驚異的なのだ。更に、前に触れた通りこれを「宇多田ヒカルからファンへのメッセージ」と読むこともかなり可能なのである。三つのある程度合理的な解釈を許す歌詞を意図して書いているとすれば、なんというか、眩暈がしてくるというか、果てしな過ぎるだろ宇多田ヒカル、って気分になるよね。
少なくとも、一人視点と二人視点のどちらともとれる歌詞を書いたのは意図的だと思わせる節がある。その証拠という訳では無いが、以下の一連の節回しが私は最初っから引っ掛かっていたのだ。
『いつも、近すぎて言えなかった、好きだと』
『だけど抱きしめて言いたかった、好きだと』
『ずっと聞きたくて聞けなかった、気持ちを』
この三つ。言いたいのに言えない気持ちを切なく歌い上げている。そう解釈するのが一人視点だ。だが、これを“過去形”だと捉えたら、どうなるか? 言えなかった、聞けなかったのが過去の話でしかないとしたら?
『いつも、近すぎて言えなかった、好きだと』
─── でも、今やっと言えた
『だけど抱きしめて言いたかった、好きだと』
─── だけど、今漸く言えた
『ずっと聞きたくて聞けなかった、気持ちを』
─── でも、今やっと聞けた
そういう意味で過去形を使っているのだとしたら? そう、こちらの解釈だと二人視点の話になるのだ。
この“過去形”の解釈の差異により、この曲は後半時間軸が分岐する、とも言える。つまり、どちらも“if”の話なのだ。もし告白しなかったら、と、もし告白していたら、の二分岐である。その場合、
『友よ 失ってから気づくのはやめよう
時を戻す呪文を君にあげよう』
の一節の解釈も分裂する。一人視点の場合は、「友情を失ってから後悔しても遅い」、即ち、友情を大切にして告白しなかった友情を“実際は失ってはいない”ケースであり、『時を戻す呪文を君にあげよう』は“明け渡す”感覚に近い。心の中で捧げる感じだ。
一方、二人視点の場合は、「ただの友達関係を実際に失って恋人関係に発展した」、即ち、実際に失った後の述懐であり、『時を戻す呪文を君にあげよう』とは、実際に呪文を告げる場面となるだろう。
こうなってくるとやはり、『時を戻す呪文』とは『好きだ』の一言に他ならなくなるわね。友達関係とか恋人とかの枠組みに囚われる前の、ひたすら自分の感情にだけ忠実だった頃のあの感覚、出会った頃の気持ちを思い出させる、ただただ相手のことを『好きだ』と思えた感覚を一瞬にして思い出させる、そんな魔法のような言葉がいちばんシンプルな『好きだ』という言葉だった、と、まーこれが妥当な解釈かな。皆さんは如何だろうか。
なお、冒頭で触れた『If I turn back time, will you be mine?』の一節に関してだが、このフレーズ、右チャンネルからしか流れてこない。つまり、二人視点を強調するダブル・ヴォーカルの後に片方だけの歌声で歌っているのだから「もうひとつのif」、一人称視点で告白できなかった未来の呟きを描いていると考える事が出来ると思われる。歌詞は、文字にした時には含まれない情報も加味して解釈してもいい筈よ。もっと言えば、楽曲の終盤は二つのifが交錯しているともとれるのだ。途轍もないよねこの『Time』って楽曲は。
勿論、ここ数回語った内容はこの日記の執筆者の妄想、或いはよくて推測でしかない。歌詞の解釈に正解なんて無いし、寧ろ作詞者としては誤読されようがそれが新しい局面を切り開いているなら大歓迎なのだと思う。誤解を恐れて口をつぐまれるより、間違っていてもいいからこの曲について語って欲しい、というのが作詞者の願いではないだろうか。でないと歌詞サイト設置なんてしないよね。
他方、我々としては、ヒカルが歌詞を書いた時に「実際に意図したところ」も知りたい訳だ。だがこれについてはインタビューで実際に語ってもらって確かめるしかない。『Time』もきっと次のアルバムに収録されるだろうから、そのアルバムが発売される時のインタビューに期待したいところなのです。いつになるやら、ですけどね。