無意識日記々

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[枠]

『Time』の『カレシ』は『日曜の朝』や『俺の彼女』での彼氏彼女観を順当に引き継いだ用法だ。

ただ、『日曜の朝』の『彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ』と『Time』の『恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ』は、同じような意味に見えて、少し違う。だいたい似たようなものだけど。

『呼び合わない』というのは、それが社会から要請された役割分担だからだ。所謂、「クリスマスまでに恋人見つけないと」な関係を「彼氏彼女」と呼んでいる、という。そういう要請とは無縁に二人は一緒に居る。後から『彼氏だとか彼女だとか呼び合わないけれど君が好きだ』と言い直している事からもわかる通り、社会的要請とは無縁に二人は好き合っている者同士だ。

『Time』では、そこからもう一歩踏み込んでいるようにも思える。『キスとその少し先までいった』という記述の肉感も結局は肉体という[枠]の話でしかなく、二人の関係はそこに留まらない。『俺の彼女』で歌われた『カラダよりもっと奥に』でご覧の通り身体がカラダになっているのも、彼氏がカレシになっているのも、それぞれの異なったレベルで[枠]から更に飛び出した世界に行ける、居る事の主張に他ならない。それら総ての[枠]を取り払った上で改めて『誰にも言わない』で『I just want your body』と歌った事の果てしなさ。それは、『Goodbye Happiness』で『何も知らずにはしゃいでたあの頃へ戻りたいね baby』と言っておきながら『そしてもう一度Kiss Me』と意志と確信をもって迫ってくる迫力をもう一度思い出させる。ジェンダー観もセックス観も肉体も精神も社会も飛び越えて「愛」を歌い切れる今の宇多田ヒカルには最早誰も敵わない。正真正銘の無敵状態だね。みんなの味方だから。