マーティン・バーチが亡くなった。71歳。英国人音楽プロデューサーで、もう30年近く前に引退した人なのでそこまで悲しくは思わないが、アイアン・メイデンの最初の11枚をプロデュースした人だ。自分にとっては、あらゆるプロデューサーの中で最も沢山のサウンドを浴びさせて貰った人にあたる。いわば人生の恩人だ。そんな人が亡くなっても悲しくないと宣うのは自分でも薄情だなと思うものの、歳をとってくるとそれくらいの距離感で過ごしていないとやり過ごせない。これくらいでいいと思う。
でまぁ二番目に浴びてきたサウンドのプロデューサーが宇多田親子だ。照實さんも先月で72歳。マーティン・バーチと同い年なんだねぇ。そんな方がまだ健在でいらっしゃるというのは本当に本当に有り難い限りでな。いつも言ってる後継者問題は解決してる訳ではないけれど、最近のヒカルの頼もしさからしていつでも照實さんがのんびり生活に入れるように誂えてくれていると信じているわ。
もしかしたら、そこらへんで人間活動が利いてくるかもわからない。一昨日でその人間活動宣言から10年経った。ラジオで「40代50代になってマネージャーなしではなにもできないおばさんになりたくない」と言っていたが、それはつまりその頃までにはお父さんがゆっくりのんびり過ごせるようにしておきたい、という親孝行な心持ちだったのではないだろうか。照實さん、プロデューサーだけでなくマネージャーもやってるからね。更に事務所の社長さんも。
そして、今振り返ると「40代50代になってもマネージャーなしではなにもできないおばさん」ってひょっとして、部分的には、お母さんのことを指してたんじゃないかと思わせる。照實さんは、実情はわからないが、恐らく圭子さんのプロデュースを務めていた時期もある訳で、つまり、父母の夫婦の有り様を目の当たりにして、そこに欠けてると思った所を補完するのが人間活動期の目的だったのではないかなと。
それは、親から与えられた環境(ミュージック・スタジオ)で育ち、家業(ミュージシャン)を継ぐという結構親にベッタリな人生を送ってきた中で、そこまでで両親から学べた事を活かしながら、今度は両親から学べなかった事を学ぶ時期が10年前からの6年半だったのではないかなと。そうやって距離をとったから『初恋』という名盤をリリースするにあたって「強いて言うなら初恋は両親」と言い切れる所まで来たのではないかなと。今までの世代のいい部分は受け継ぎつつ、自分の世代で築き上げた新しい部分を継ぎ足して、そして今自分は子育てに励んでいるとすれば、なんともまぁ理想的な継承関係にあるのなぁと感嘆する。
ヒカルさんは順調である。この感染症禍下にあっても(“かんせんしょうかか”って読むんだろうかこれ?)自分を見失う事無く、いつも通りのマイペースで進んでくれている。相変わらず大局を見失わない刹那主義で。トケイソウの花が道すがらに咲き誇る姿に目を取られる位には余裕があるということで、何よりだ。だが、私のドヤ顔はもう帰ってこないのだった……(詳しくは昨日のTwitterをご覧下さい(笑): https://twilog.org/i_k5/date-200810/allasc )