無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

連休明けの月曜の朝は大体毎回こんな感じ

幼い頃のヒカルが身近な人たちの生活をみて「音楽家は賎職だ」という意識を持った(勿論そんな昔の言葉は使って言った事はないが)というのはいつだってなかなかに示唆的で。どういう歴史があったのかなと空想する。

日本の中央集権的地上波テレビが普及した時に大きな視聴率を上げたのはまず格闘技やスポーツだったようだが、同時に芸能もまた大きく耳目を集めたのは紅白歌合戦の視聴率が八割を超えたという逸話からもまた真実なのだろう。テレビという新興メディアの主力は恐らく旧来の価値観から逸脱した人達だった筈だ。程なくしてテレビは娯楽の王様となり、多くの旅芸人達を駆逐し或いは転進させ大いなる影響力を築いた。そういう成り立ちのメディアが真実や事実に関する報道や情報提供に向いているはずも無く(芸能とはだいたい虚構だものね)、今でも視聴者の皆さんは連日パンデミックより怖いインフォデミックに曝されている。

ヒカルのように、親子三代以上、ずっとその災禍を受け続けてきた家系の心境はどんなものなのだろうか。藤圭子のように、売れると分かれば酷使され消費され侵食され、一方で何も無い時は放逐される。そういうのをみてきて育てば、億単位を一度に相手するマスメディアのもつ狂気と凶器に対して警戒するのは当然で……

……まぁ、よく戻ってきてくれたねぇ、と5年経った今でもしみじみ実感しているのですよ。未だにげいのうかいのキラキラぶりに憧れて夢を目指して酷使される若者は居るのかな。現実と虚構の区別の付け方がないシステムで報道や情報を扱う無謀さは伝え聞くけれどまぁ今更かな。ロンドンで愛息と暮らしているのなら、きっと遠い国の出来事なのだろう。次に“来日”してくれるのはいつの日になるのやら。25年目のミサンガの写真を眺めながらそんなことを思うのでしたとさ。