無意識日記々

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ピッチャーは投手、球を投げる人の事です。

『I'm stealing your heart』と同じく『I'm throwing my heart』/「私の心を投げ込んでやるぜ」もまた野球のスローイングとひっかけた歌詞だ。まぁこれはわかりやすいのだけど、細かいニュアンスを考え始めると結構野球への理解が必要になってくる。

野球というのは変わった競技でなぁ。例えばバスケット・ボールで「球を投げる」のは味方に対してだ。敵に球を渡してはならないと味方同士で球を繋いでカゴに入れる。わかりやすい。だが野球は球を「相手の打ちやすい所」にわざわざ投げる競技なのだ。これだけ聴くと勝ちたいのか負けたいのか何なのかよくわからんよね。

ここらへんのニュアンスを汲み取らないと『I'm throwing my heart』の含意が伝わらない。これは、野球でピッチャーが「打てるもんなら打ってみろ!」とばかりに投げ込んでくる心意気と軌を一にしているのよ。つまり、「私の心をど真ん中に投げ込んでやるから、あなたも真正面から応えてね!」っていう気風(きっぷ)の良さを表現しているのだわ。

よく「心と心のキャッチボール」みたいな言い方をして、コミュニケーションの行ったり来たりを表現する事があるが、この『プレイ・ボール』ではそれとは少々趣が異なる。ここでは『九回の裏で魅せるピッチャーのように I'm throwing my heart』なのだ。九回の裏とは試合の最終局面のことで、ここで踏ん張れるかどうかで勝ちか負けが決まる、次の一球が天国に行くか地獄に行くかの別れ目になる、といった野球の試合の中でも緊張感が最高潮になるシーンである。その心臓バクバクの極限状態の中で自分の心を放り投げるのだから、やけくそギリギリというか、かなり踏ん切りをつけた思い切ったチャレンジであるということだ。まさに歌われているように『勝負どころ』なんですよ。

まぁ歴史を紐解いてみると、野球も最初は本当に「打ってもらう」為に球を投げ込んでいたらしく。これは野球に限らず、テニスや卓球、バレーボールなんかでも同様で。それらの競技で第一球のことを「サーブ/サービス」というけれど、これは日本語では提供とか奉仕とかの意味。どのスポーツも最初はラリーを続けて楽しもうという感じで球を“サービス”して始めていたのだ。それがいつの間にか勝利至上主義になり、サービスとはその名前とは裏腹に如何に相手から返されないようにするかという意地悪を煮詰めたような打球になってしまった。野球も同じで、打ちやすいところに敢えて投げながら実は打ちにくくしているというその辛辣さ。そこにちょうど球を投げ込めた時に「ストライク!」と叫ぶのは「今の打てるだろ!?打てよ!」という煽り文句なんだよねぇ。なんというか、本当にスポーツって性根が腐ってますよね(笑)。でも、いつも楽しませてもらってまーす。(しらじらしいw)

こほん。で、そのスポーツを題材にした『プレイ・ボール』という歌は告白にチャレンジする勇気に満ちた前向きな子の物語。ヒカルもホントうまく叙情性の高い歌詞に纏めたものだなと感心するのですよ。

しかし暑いねまだまだ。この歌を聴きながら冷たい飲み物でもぐいっと一杯やりたいなー。店員さん、ビールをピッチャーでちょうだいな!(歌詞に出てくるピッチャーは、そのピッチャーでは、ありません!)(……一度でいいからこのネタを書いてみたかったのでした。すっきりw)