無意識日記々

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やさしさ

「やさしい」という言葉は多義的で。漢字だと「優しい」と「易しい」の二つがあるがどちらも随分意味が違う。「優」の字は「すぐれている」とも読め「優良可不可」の成績評価では最上位だ。「すぐれる」には「勝れる」の字もあり、人よりまさっている、勝っているという意味もある。一方「易しい」の方は、easy、簡単という意味で、まぁ随分と「優」の方とは印象が違う。

ヒカルさんはやさしい。勿論これは「優しい」の方だが、基本、能力の高い人は優しいのだ。手厳しい人というのは不器用、つまりある領域において無能だからそう振る舞うだけで。自分に苛立っているとでもいうか。そういうもんだなぁ、と思う。ヒカルさんは、能力が高く、それ故に優しく振る舞える。

だが、そもそもヒカルの心の優しさはもっと根源的なもののように思えて。その優しさが結果的に高い能力を導いたようにすら感じる。こどもの頃の無力感というのは例えば『点』の冒頭にも独白されているが、その怒りや苛立ちに似た状況から出発しているというのにヒカルは限りなく優しい。理屈以前に、学習や環境以前にそもそもそういう人なのだという気がする。

一昨日の絆創膏も、何かを慈しむ目線はその相手が人だろうが動物だろうが無機物だろうが関係無い。その優しさが極まって、人を見捨てない、置いていこうとしないから、音楽を作っていても一人一人にちゃんと伝わるように作ろうとして、そう作れ、実際に作って届けるからそれはとてもわかり易い。ここに「優しさ」と「易しさ」が繋がる。我々に音楽の世界に容易くアクセスできるように、間口を広く取り、そこから狭く深く高いところまで導いてくれる。その手際は非常に優れていて淀みが無い。ヒカルの優しさが僕らへの易しさに変わる過程が歌なのだ。

人より勝ろう・優ろうという気持ちには行かない優しさは、時に世俗的には不遇にすら感じられるが、理屈よりもそもそもそういう人なのだ。他の何が変わってもこの優しさだけは変わる気がしないな。