前回は「前口上」について若干茶化し気味に(?)触れたが、ああいうのは時に危うさを孕むから注意が必要だったりする。今回はヒカルが直接自分の言葉で話したからよかったものの、他人に任せたりしたらどうなるかわからない。
今年の「ライブ・エール」では、例えばさだまさしが放送日の8月6日に合わせて「広島の空」を歌った。2020年は8月8日の放送ということで翌日の8月9日に合わせて「長崎の鐘」が歌われたようだ。平和への祈りは人類共通だと思い込みたいところだが、日本語圏にはこういう歌すら政治問題化する人たちが少なからず居る。
今日は長崎で核兵器が使われて77年の日だ。この話をこうやって書くだけで若干政治臭が出てくるのは書いてて憤懣やるかたない。なんでやねんという気分ではある。
今回ヒカルはそういう枠での招待でなくて一安心だった。視聴者の方も望んでいないだろう。一方のヒカル自身がどう思っているかは、しかし、わからないけどね。
常に頭に置いているのは、ヒカルがマスメディア型のプロモーションをするメジャーアーティストだという点。インディーズからひとつずつ積み上げてきたタイプとは根本的に異なる。出版や放送でのジャーナリズムの御作法に色々と無闇に侵食される危険性が常に存在する。今はそういう兆候から最も遠いところに居るので危機感はないが、常に頭の片隅には入れておきたい。
…朝から堅い話だな。「ヒカルが座って喋ってる時の衣装の揺れ方すら優しい」という話をしようかとスマホを開いた筈だったんだがどうしてこうなった。いやまぁ今日が8月9日だからなんですが。
いやそうなのよ、喋るときの姿勢と呼吸に依るのだろうが、今回それが凄く心に残ってねぇ。ゆらゆらと揺れる衣装を見ながら「嗚呼、この人は呼吸からもう優しい」とやたらに感動してしまっていた。「息をするように人に優しく接する」という言い方ならあったかもしれないが「そもそも息が優しい」とかそういうのはなかなかお目にかかれない。
これって前からなのかな。ヒカルも『One Last Kiss』MVでダヌくんがiPhone撮影した動画素材をみて「自分は息子と接する時こんなに優しい顔をしてるのか」と驚いていたが、やっぱり我が子が出来て人に優しく接するのが更に身に染みこんだというか、生き方自体が"優しい"になってるのかもしれない。"優しい"が服着て歩いてる感じですかね。そら服も優しく揺れるわ。
そんな人が歌って踊った(もうそう言っていい気がしてます)『BADモード』が優しくないわけがなくって。理屈でなく肌実感としてヒカルの優しさに触れたと思った人がテレビを通して沢山居たのは本当に喜ばしい。マスメディア中心のプロモーションも、いいところがいっぱいあるんです。だからこそ、返す返すも、NHKプラスの見逃し配信が今日も滞ってるのが勿体なくて堪らないのでありました。(…今週の日記の締めくくり方全部これでいくのか…?)