無意識日記々

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気軽さと手軽さの根付き

先月発売されていたダーディプロジェクターズのEPを聴いて「こういうのでいいんだよ」と思わず呟いてしまった。ほぼ弾き語りのみのシンプルなポップソングを流していると、大変癒される。心地好い音色と、ちょっとしたメロディー。それだけでほっとする。あぁ、いいなぁと思える。

ついついこの日記ではヒカルさんの歌詞を深読みした話をしてしまう機会が多いが、普段からそんな風に眉を顰めて歌を聴いている訳でもないんだぞ私も。殆どの場合はただ流して「うまいねぇ」「泣かせるねぇ」「いいねぇ」とか言ってるだけだ。

実際、何度も「シンプルなポップソングとしての機能性」の話もしている。自動販売機でジュースを買って飲むような感覚で、ちょいと耳を傾けたら一息つけてまた少し元気を貰えるような、そんな歌をせわしい合間に聴いて癒されたい。それが出来るのがポップソングというものでな。

『初恋』というアルバムは、そこが“捻れて”いたんだよね。このアルバムに収録された先行シングル風に扱われた楽曲は『大空で抱きしめて』『Forevermore』『Play A Love Song』に『初恋』といったところだが、どちらかというと「シンプルなポップソング」という意味合いではアルバム曲だった『Too Proud』や『Good Night』や『パクチーの唄』や『残り香』の方が相応しいように思えた。唯一、『Too Proud』は後からリミックスが単曲リリースはされたけどね。

『Laughter In The Dark Tour 2018』でのパフォーマンスからもわかる通り、『初恋』の頃のヒカルは壮大で雄大で優美な作風と歌唱を追い求めていたように思う。その最高の結実がライブでの『初恋』の中間部、無限の永劫を感じさせた無音部分の緊張感だった訳だが、そう、結局それを突き詰めると聴き手の集中力を目一杯引き出す事になったのだった。何しろ1万人以上のコンサートの聴衆の誰一人としてその無音部分に於いて物音を立てなかったのだから。

あの一瞬は一生涯の思い出として深く刻まれていて、それはもう勿論それでいいのだが、あそこまでいくとポップ・ミュージックの「軽さ」即ち「気軽さ」&「手軽さ」からは最も遠いものに思えた。あたし個人は別に音楽はポップであってもらってもそうでなくてもどちらでもいいし、大体プログレメタラーなんてヘヴィで重厚で感動的なモーメントを追い求める種族なのだからそれはもう宇多田ヒカルさんほんとあんたは最高だよと叫ぶのみなのですが、当のヒカルさんがそもそもどの時代に於いても「ポップであること」にやたらと拘り続けてきているので、なんだろうな、『Passion』や『誰にも言わない』が「アウトな曲」であるという言い方言われ方をするとき、セーフやインの曲の存在を前提としている訳で、やはりそこは、収入や生業より更に前の段階の、生き方や生き様、毎日の営み方過ごし方そのものの中に「ポップであること」がヒカルの中に刻み込まれているのではないかなと。

本来「ついついそうではなくなってしまいがちなので」という注釈への留意だったポップであることへの心掛けが、いつの間にかヒカルに深く確り根付いていて、今となっては、案外ほっといたらそういう曲出来てくるんじゃない?と少し思えるようになってきたかなと。アルバム『初恋』のC面D面の楽曲にはその萌芽がナチュラルに無意識にみられるようになってきているのではないかなと、そんな風に解釈してみるのでありました。軽さもまた重要なのですよ。