先週の花江夏樹のツイートのエピソードがよかったねぇ。「鬼滅の刃の主役声優である花江夏樹が最近天狗になっている」とかいう記事が出て。見出しだけ見たら「それ師匠の方やんね?」とか思ったんだが(※ 同作品の登場人物・鱗滝左近次の事。…なんで「うろこだきさこんじ」って打ち込んだら予測変換候補に「よく・・・生きて戻った。」が出てくるんだコラ(笑))、その時点ではファンの反応は非常にギスギスしていて心地よくなかった。しかし、当の花江本人が天狗ブランドのビーフジャーキーの写真を添えて「おいしいなぁ」と一言呟いただけで空気が一変して笑い話に変わったというね。いやはや、そういう才能がある人が羨ましいぜ。和やかな雰囲気をギスギスさせるのなら得意なんですが。そんな能力願い下げだわ。
恐ろしい事に、そのツイートには23万以上のいいねがついている(花江のフォロワ数は170万強)。つまり、それだけの、いやそれ以上の人々がそのゴシップ記事を読んでいた事になる。読んでないと意味わからんツイートだからね。これほんと困った事だなー。
みんな、どこからそういう記事嗅ぎつけてくるんだろうね? あたしみたいにヤフトピからかなぁ(メールチェックする時にトップから入るクセがついてるので)。人それぞれなんだろうが、一旦配信記事になってしまうと瞬く間に数十万いやさ数百万の人の目に留まるんだなと。
現在300万超フォロワーのヒカルも、似たようなスケールの目線に曝されている訳でな。花江夏樹と同じように、たった一言で空気を変えられる影響力もあれば、それだけの人数の好奇の目に晒され誤解を受ける可能性もあるわけで。いや、可能性どころか、きっとこの10年誤解されっぱなしだったんだろうけども……。
『歌姫ってなんなん』に代表されるように、ヒカルの一言が世論を動かした事が過去にも何度かあった。その度に、私としては、丹精込めて作った歌のメッセージもそれくらいの影響を与えられたらなぁと思ってきた。一昔前までは、歌に載せたメッセージの方が何百万という人達に届いていたのに、今の時代は歌にした方が届きにくい。なかなか歌を聴いて貰えない。呟いた方がずっと人に届く。字になって目に止まるからね。こういう少し過去と逆転した世界で作詞家をやっていくに当たっての、今の世代としての新しい方法論が今後必要になっていくのかもしれない。
『宇多田ヒカルの言葉』を著したり、歌詞サイトを毎回構築して利用を促したりしているのも、そういった時代背景とは無縁では無い筈。寧ろ、届きにくい事を意識してそれを利用する位の貪欲さが要るのかもしれへんね。例えば冒頭の歌詞だけツイートしたら続きが気になって聴きたくなってしまうような歌詞とかね。さて、今後どうなっていくだろうかなぁ。