無意識日記々

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イケイケからほどほどへ。そして…?

『20代はイケイケ!』というキャッチフレーズはヒカルも半分冗談でつけたのかと最初は思ったのだが、実際はそうでもなく。

28歳で人間活動に入るまで沢山の足跡をヒカルは残した。恐らくそれは、己が才能がどこまで行けるのかを見極める旅だったように思う。10代の頃最初に歌った通り『行けるとこまで 行けるとこまで』行くこと、それがイケイケな20代だったのだ。

30代は『30代はほどほど。』である。イケイケの時期がひたすら己と向き合って自らを深く掘り下げ自らをより高みに導くフェイズだったとすると、ほどほどの時期というのは、複数の、多様な価値観の間でバランスを取るのがテーマだったような気がする。

20代の頃はアルバムを発売する度に「今までになく自分を曝け出した。」と語っていたヒカル。如何にして自分自身を、宇多田ヒカルを表現して伝えるか、その一本道に専心していたように思える。価値は『私』その一点にあった。

人間活動から戻ってきたヒカルは、そこからもっとバラエティ豊かな世界に踏み出している。多様な価値観の中でバランスを取り始めた。

まず単純に、子育てをしながら仕事をしている。こんなものどちらが大事とか大切とかではない。ヒカル自身も言っていた通り、こどもがいたから仕事に復帰してきたのだ。二つは強く結び付き合っている。

当然ながらこどもの世話をしている時は制作できないし、制作している時はこどもの世話はできない。どちらも大事という中で時間をやりくりしてここまで来ている。子育てと創作。どちらの価値も損なわない。

また、コラボレーションが増えたというのも特筆すべき点だ。特にアルバム『初恋』に於いてヒカルの音だけで出来た曲は『残り香』たった一曲だけだったという。自分自身の基準だけでなく、数多のミュージシャンたちのセンスもまた取り入れながら、シンガーソングライター宇多田ヒカルの世界を構築するようになった。ひたすら『私』を掘り下げるだけではなくなったのだ。

(なお、20代の頃も幾つかコラボレーションやヘルプがあったが、あれはどちらかといえば補助的に手間や曲数を補ってもらう狙いが強かったように思われる。)

『ほどほど。』というのは、その、幾つもある価値観やセンスの間でバランスをとって生き創っていく感覚を表現したものだったのだな、と今になっては思えてくる。

勿論、『イケイケ!』が行き過ぎる事無く、ほどほどのところで止めておこうね、という意味合いもあったのだろう。特に『UTADA UNITED 2006』では、二ヶ月ちょっと二十公演以上が予定されていながらペース配分も考えずに毎晩全力投球をし続け、疲労を蓄積させて挙句の果てには喉にメスを入れるか入れないかという所までいった。その経験があったからこそ、「自分はここまでできる。これ以上はできない。」という程度を見極められるようになった。その加減を指して『ほどほど』と言うようになったのだお思えた。

まもなくヒカルは38歳になる。Instagramのプロフィールは相変わらず

『くまが大好きなアラサーだった女子です。』

で、往生際の悪さをパロディにしたままだ。見た目としては時間を超越しているから今何歳だろうが関係ないというのもまた真理だが、それはそれとして、私らはヒカルが40代になったら「40代は○○○○」の○○○○に何が入るのか、それをややそこそこ気にしている。『20代はイケイケ!』、『30代はほどほど。』に何が続くのか。『90代はココドコ?』の所は予約が埋まっているが他はまだである。あと、今振り返って10代の頃に名前をつけるなら何になるか、なんてのも知りたいかな。まぁ兎に角、一緒に歳をとっていくには私らは今年を来年を再来年を生き延びねばなりません。皆さま、くれぐれも安全と健康を優先してお身体ご自愛くださいませませ。