無意識日記々

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アップデート・ラヴァーズ

毎度書いてる事だが、Pop Musicの歌詞がラブソングをメインにしている以上、その歌詞で使われている言語の言語圏に於ける恋愛事情というのはクリティカルな問題になる。

例えば日本の演歌などは、当時の日本の恋愛観を幾らかは反映していた筈だ。何故悲恋の物語が多いのかといえば、結婚と恋愛が結びついていない慣習を引き摺っていたからだろう。恋愛自体が悲しいものだったということだ。藤圭子はその世代の怨念の頂点だったから「怨歌歌手」などとまで言われた。

欧米化した日本の歌謡曲、Pop Musicにおいてその様相は変わる。演歌ブームのあとにきたフォークミュージックやニューミュージックの台頭は新しい世代の恋愛観を背景にした歌詞が受け入れられた。「大恋愛の末結ばれる」とかいう、欧米型の、演歌では希少なパターンが散見されるようになった。そこらへんの移り変わりを上手く捉えたさだまさしの……って各論は長くなるから省略するとして。

そこから昭和平成令和と流れてきてジェンダー観や結婚観が多様化し、Pop Musicで描かれる恋愛も様変わりした。宇多田ヒカルって、平成の3分の2を担っていた人だから、ある意味そろそろ前時代的になっていたとしてもおかしくなかったのだが、ご存知の通り、寧ろ時代に先んじすぎないように調整してる節すら窺える程現代に適応している。『Time』や『誰にも言わない』はまさにそこらへんの調整の賜物になっていて、あまり旧時代的な感覚はない。

週末に「ネットの音楽オタクが選んだ2020年のベストトラック100」というのをみつけた。200人余りに対するアンケートのようで統計的な意味があるかはわからないが、こういうタイトルの元にしっかりヒカルの『誰にも言わない』と『Time』がランクインしているのはなんだか面映ゆくなった。ベテランの上に「お茶の間でもお馴染みの」なアーティストが音楽オタクたちからも高い評価を受けていると。

何よりもサウンドが常にアップデートされてきているのが大きいだろうが、それと共に、歌詞の世界観、恋愛観に違和が無いのもあるのではないか。今の若い人たちからみても恋愛観が身体性を伴って実感されやすいというか。それと伴に、時代に左右されにくい普遍的なテーマが根底にあるというのも。まぁそれは伝わらないとわかってもらえない要素なので今の風景の中でどれだけ効き目があるのかはわからないが。

でも、もうロンドンに住んで長いだろうに、よく日本の空気とかわかるよねぇ。いや、「ネットの音楽オタク」にウケるとか、電脳空間の中での話ならどこに住んでようが関係ないのか。恋愛ドラマや恋愛小説なんかも電脳空間は最早切っても切れない関係になったし、案外そこから結構なところまで見通せるのかもしれない。おぢさんには遠い世界の話だけれども。

もうちっと具体的な話に踏み込みたいところだが、さてどうしようかと思案中。何しろ次の新曲がカリカチュアライズされたフィクションたるロボットアニメ(エヴァはロボじゃありませんが)のテーマソングなので、そこから現代日本の恋愛観との親和性について語るのは骨が折れる。まだ歌詞も一部分だけだしね。まぁ考えときますわ。