無意識日記々

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インスタライブで詩の朗読なんてどうでしょ

インスタライブというのも、見ているとそれぞれ人によって大分力の入れ方が違っていて。ふらっとその気になったら気楽にオンエアする人も入ればYouTuber並に凝る人も居る。

ヒカルの場合は結構下準備を入念にしていた感じでしたね。始まるまでけっこう時間が掛かったりして。スタイリングも自前だろうからそこは仕方がないのだけれど、こちらとしては酔っ払ったテンションでピアノ弾き語りするくらいのフランクな感じでもいいのよ?という気でいる。なんだったら音声のみでも良いわけでね。それならスタイリングも要らないし、ヒカルも歌声で勝負ならのぞむ(望む/臨む)所だろう。

でも、例えばカバー曲を歌おうとかだと色々と制約があるのかもねぇ。ヒカルはプロのミュージシャンだし、直接はお金取らなくても宣伝活動の一環になってしまう。未だに昔のストリーミング(動画のダウンロードだったけども)で心残りなのが、グリーン・デイの「ブールバード・オブ・ブロークン・ドリームス」のカバーがDVDに収録されなかった事だ。本家より遥かによかったから怖気付いたのだろうな。(と言っておきます)

というようなこともある為、インスタライブでカバーを歌うといっても素人のように気楽には出来ないのかもしれない。自分で書いた曲の方が権利処理については気楽なのかなぁということになるが、こちらはなんかキャリアの一環というイメージがついて本気度が上がってしまうので、その意味で気楽じゃなくなりそうなのよねぇ。うぅむ、結構難しいな。

ならば例えば「詩の朗読」とかやってくれたらかなり嬉しいのだが。でも十中八九ヒカルは恥ずかしがってやらないだろうなぁ。『Deep River +』のオープニングを飾る散文詩や『UTADA UNITED 2006』の『Untitled』とかをインスタライブで朗読してくれたらかなり痺れるんだけどねぇ。

『夕凪』を、カラオケをバックに歌詞朗読してくれたら、なんてことも思う。あれ、ガイドヴォーカルならぬガイドヴォイスが歌詞を先んじて呟くパートがあるから、だったら全編呟いても面白いんじゃないかなとね。

同様に、『誰にも言わない』をバックに国木田独歩ワーズワースの詩を詠むのも乙なものだろう。「サントリー天然水」CMの完全版みたいな感じでね。

しかし大本命は宮沢賢治の『春と修羅』の朗読だろうか。『ヒカルパイセンに聞け!』で

『なんだかんだ言って宮沢賢治の「春と修羅 mental sketch modified」以上の衝撃を受けることはないぜ。』

と宣ってた1篇だ。これをヒカルが朗読したら強力だろうなぁ。いや、これだけ思い入れが強いと、本気でいつかバックトラックを自作した朗読をオリジナルアルバムに収録してしまうかもしれん……インスタライブで気軽にやれるヤツじゃないのかも……。

嗚呼、なんだろう、色々考えても、自分で自分のラジオ番組のジングルを作曲してしまう凝り性のヒカルが「気楽に歌って/詠んで配信する」イメージが湧きづらいんだよね。「やるからには」ってなっちゃうんだよなぁ。まぁ仕方がないか。昨年5月のように、しっかり準備されたインスタライブを、1〜2年に1回くらいのペースでやってくれる事を祈っておきますわ。ほんと、今考えても「五週連続」は贅沢だったなぁ……夢だったのかもしれない……(<気を確かに持ちなさいな)。