無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

すべては心の決めたママに

13年前の今日のメッセが切ない。

『私はママの前座なんて恐ろしくてできない・・・

(((( ;゚Д゚))) ガクガクブルブル

前座なんだからパフォーマンスが劣っていて当然だけど、あまりにも自分がダメな歌手な気がして毎晩へこみそう(笑)』

『親子で世界ツアーまわるのなんて楽しそうだね(●^口^●)』

http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_24.html

一応スティング親子の事を言ってはいるんだろうけれど、もし仮に藤圭子宇多田ヒカルのコンサートツアーが実現していたら一体どうなっていたことやら。掛け値なしの老若男女が集うカオス極まりない空間が出来上がっていたに違いない。ヒカルによると会う年配の方々における藤圭子知名度は100%だったらしいし。いやそりゃ37週連続1位なんて記録してりゃ別格だわな…。

↑↑↑これは25歳の時の発言だけど、母親になり『Laughter In The Dark Tour 2018』ツアーを完遂し38歳になった今なら自信をもって前座を務められるのだろうか。でも確かに、ヒカルが前座するなら藤圭子くらいしか居ないわな…宇多田ヒカルの後に出てきて歌うだなんて普通の一流歌手なら尻込み間違いなしだもの。…普通の一流歌手というのも凄い表現だけども…。

今やヒカルにとって母・藤圭子は永遠の憧れ、永久の目標になっていて、もうそれは揺るぎないとすら言える。もう何も情報が更新されないからね。ある意味でそれは圭子さんが遺した最大の置き土産のひとつであるかもしれなくて。いつまでも歌への情熱を怠ること無く精進し続けられるというか。消えない輝きを常に胸の中に感じることが出来ていて。そうやって出来た歌が『道』であったり『大空で抱きしめて』であったりするんだわぃね。

余談になるけど、ヒカルは呑気に『あまりにも自分がダメな歌手な気がして毎晩へこみそう(笑)』とかって言ってるけど、自分がデビューした時に多くの歌手にそう思われていたのわかってるんだろうか。何しろ15歳。そんな子にあんな歌を歌われて自信喪失した歌手は数知れず(多いという意味ではないけども)。毎度言う事だが、やってる当人たちはリスナーよりも「格の違い」とか「レベルの違い」に敏感なもので。こちらからしたら「あなたはあなたの歌を歌ってくれていたらそれがいちばんいいんですよ」と思うのだが、どうしたって「到れない境地」みたいな事について考えてしまうようで。それでやる気を無くす位なら考えて欲しくないのだけれど。そういうのとは比較的無縁だっだろうヒカル本人ですら母・藤圭子の歌はやる気を失わせる程の威力だったということか。確かに、演歌なら畑違いとか言っておけばいいかもだけど、洋楽のカバーである「マイ・ウェイ」みたいなパフォーマンスを聞かされちゃあねぇ。何の言い訳もできやしねーわな。あの曲をラストに流したあの2016年10月の『ファントーム・アワー』の放送が、ヒカルの新時代へのスタートの掛け声だったような気がしてならない。掲げる目標は高く尊く遥けき遠く。この歌のヒカルによる歌唱を、いつか聴いてみたいような、永遠に聴けない方がいいような、そんな入り混じった気分であります。