無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

真冬の青春

そうか、そろそろもうあのTHE BACKHORNとの『あなたが待ってる』がリリースされて4年になるんか。この歌を聴くと冬だなぁと感じ入る。

共同プロデュースというクレジットだったが、要は友達と意気投合して曲をあれやこれやと作り上げたという事だろう。後から振り返って、プロデューサー役もしたよねとクレジットが決まったのだろうな。

その後ヒカルは小袋成彬のデビューを手掛けもした。ここらへんも、プロデューサーの肩書きが先にあったというよりは、自分の力が必要とされたから手伝った、その役割が所謂プロデューサーと呼ばれるものだった、という感じだったのではなかろうか。

つまり、これらの例は「だからといってプロデュース業に興味が有る訳でも無い」という結論を導く。ご縁があったらまたやるかもしれないけれど、例えば自分をプロデューサーとして売り込む様なマネはしませんよ、と。

ある意味、結構アマチュアリズムといいますか、、、学生ノリとでも言った方がいいか? 音楽に限らず、映画とかアニメとか演劇とか同人誌とか、学生の頃に文化的な活動を何人かの仲間たちと共同で始めてそれが世に受け入れられるようになっていくにつれそれぞれの役割、クレジットが固定されていって大御所と呼ばれるようになっていく…みたいな成長物語とは全然無縁なままなんだろうなぁと。学生のような、混沌とした、役割分けのハッキリしない、兎に角みんなで作り上げるんだという熱気みたいなものを、ヒカルはそのままにしてよしとしている、ような。

「学生」という呼び方は少々卑怯かな。自分の中のイメージでは大学生だが、高専生だろうが中高生だろうが何でもいいんだ。「自分が何者なのかまだわからない中で遮二無二に頑張っている」と言いたくなる状態。ヒカルは大学もあまり通わなかったし、若いどころか幼い頃から音楽家としてずっと一端の何者かであり続けてきているので、上記のTHE BACK HORNとのコラボレーションは遅れてきたそういう青臭い青春の1ページみたいな思い出になっているのではないかなぁと勝手に夢想している。

例えば『In The Flesh 2010』だって、アリーナなスタジアムを相手にするツアーを経てきた人間が、本来なら先に味わう下積みとか言われる状況を遅れて体験するライブハウス・ツアーだった。これもまたヒカルが青春した1ヶ月だったといえる。こちらは11年前の冬の事でしたね。

人と時系列の順番が入れ替わっていようが、やっぱりそういう体験は、得難い。今の感染症禍が収束したら、またこういうコラボレーションが自然発生的に生まれる瞬間をみてみたいものだ。そういうのは、事前に予測できないから楽しい。是非不意打ちを食らわしてうただきたいものである。