つくづく『Beaitiful World』は凄い曲だったんだなぁ、と思わされている。旧世紀のエヴァンゲリオンは確かにアニメファンの間で非常に話題になったが、その劇場版(旧劇版と言われてるヤツね)の興行収入が、例えば今で言えば「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なんかと同程度の20億円前後だったときけば、なんだ社会現象と呼べるほどには話題になってないじゃん、となる。実は新劇版の方がよっぽど社会現象なのだ。シンエヴァは早くも50億を突破したというしね。
しかし、そのアニメ本編よりもっと神格化されていたのが主題歌の「残酷な天使のテーゼ」で、CDの売上やチャートアクションは大したこと無かったクセにカラオケをはじめとして余りにも日本中の至る所で歌われ過ぎてしまってしまいにはJASRAC賞金賞を獲得したことすらあるのだこの曲。つまり、ある年に日本全国で全てのジャンルを通じて最も荒稼ぎした楽曲になったことがあるくらいなのだ。アニメ云々を飛び越えた国民的名曲といっていい。アニメ自体より凄いのだこの主題歌の存在感は。
なので、エヴァがリビルドされるとなった時にヒカルが主題歌を担当するときいてそりゃあ難題だと思ったよ。神格化された主題歌のイメージに抗えるだけの楽曲。いかなヒカルでも…と思ってたのにいざ蓋を開けてみたら『Beautiful World』の支持率の高いこと高いこと。「新劇版の主題歌は宇多田でないと」という定評まで確立させた。
その威力を思い知ったのは「破」の時だ。ご存知のように同映画のエンディング・テーマは『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』で、あたしなんかは「なんだ、新曲じゃなかったのか」みたいな事を言っていたのだがネット上の評判は非常に良く、それはつまり『Beautiful World』自体の認知度と受容度が高く、この歌が鳴ってれば間違いなかったからなのだった。その空気の前ではリミックスのアレンジがどうのなどとは些細な事でな。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」でも、つまり同じ事態だったのだろう。殆どの人にとっては、『One Last Kiss』に続く最後の最後の終劇の場に『Beautiful World』が鳴っていればそれでよく、それが新録だとかプロデュースが二人だとかは心底どっちでもよかったのだ。この大きな大きな外枠が守られていたから映画のオーラスとして格好がついた。『Beautiful World』の新録を依頼した庵野総監督のセンスが光ったよね。
……でまぁ、こういう話を、日記内容の重複を恐れずわざわざ振り返ったのは、当然の事ながらそろそろ『Beautiful World (Da Capo Version) 』のサウンドについて触れていきたいなと私が思い始めてるからなのだが、うむ、予想通り、どうにも険のある書き方しか出来そうになくてねぇ…いや、音としては結構気に入ってるんだけど、“Da Capo”という名前がそれをすべて押し流してしまうのよな…という話からまた次回に…続くかどうかは、わかりませーん。やれやれ(笑)。