無意識日記々

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part 5 of "Da Capo ≒ Rebuild"

既述の通り、ベースサウンドが入ってきてからの『Da Capo』は『Beautiful World』の本格的な“Rebuild”に取り掛かる。オリジナルでは総て揃って鳴らされていた様々なサウンドを順々に一つずつ組み込んでいくのだ。

ベースが入ってきたあとバスドラのキックが四つ打ちで入ってくる。もうここらへんでかなりオリジナルの雰囲気に近い。そこからピアノのコードが入ってきて更にあの雰囲気が強まり、Bメロに差し掛かる所ではあのキラキラしたピアノフレーズも飛び出してくる。もうこれでほぼオリジナルと同じくらいの音圧になった。なお、オリジナルにない合成音は恐らく『One Last Kiss』で使われているのと同じものだろう。メドレーというか組曲というか、シームレスに繋がっている『One Last Kiss』と『Da Capo』だが、音色まで共有しているとなるといよいよニコイチ感が強まるね。それはさておき。

そして、ここなんですよ、この、殆どオリジナルと同じだけの音圧になったBメロ(『言いたいことなんかない〜それでいいけど』)を経た次のサビで、またベースとドラムスのみのサウンドに戻るのよね。オリジナルだとここでトリプルキーボード編成で賑々しくお送りするのだが、ここで「一旦退く」のが、音楽的にはいいセンスしてるなぁ、とは思う。

ここもまた評価が別れるのかもしれない。そこはもう盛り上がれよ、遠慮無くノせてくれよ、となるか、それともこの緩急に洒脱さを見出すか。このあと、『どんな場所でも結構』からはピアノも戻ってきてそれなりの音圧になるのだが、結局ワンコーラス歌ったあとはリズムが引いてバラード・モードになる。ここでの聴き所はヒカルによる『It's Only Love』の歌い分けなのだがそこの所はまた別の機会に語るとして、『Da Capo』はこうやって、ダンスナンバーとしては盛り上がり切らずに終わるのだ。オリジナルと較べてワンコーラス少ないまま。

そういう構成にした理由は複合的なものだと思うのだが、いちばん強かった理由は恐らく「尺」だろう。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のエンディングで流すということは、銀幕ではスタッフロールを流すタイミングなので、ある程度の時間指定があったのだとみる。つまりそもそも『Da Capo』は「6分で」というオファーが最初にあったんじゃないだろうか。その中でコンセプトを纏めようとするとこのような、煮え切らない構成にせざるを得なかったというか。真偽は分からないが、そこのところの可能性は考慮に入れて評価せねばならぬだろう。

しかし、勿論もっと工夫して最後に『Beautiful World』らしいイケイケの疾走感で締め括る事も出来た筈なのだが、そこで自らのセンス、ミュージシャンシップを優先したのだろうかな、と思うと、やっぱりやれやれと思っちゃうわね。映画関係なく聴けばセンスのあるサウンドだとは思うんだが、そこらへんのモヤモヤした気持ちについては、また稿を改めて書くと致しますか。