無意識日記々

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なおみちゃん棄権

大坂なおみ全仏オープン2021のトーナメント自体を棄権したそうで。確かに、運営側のあの対応(連名凄いよねぇ)では交渉の余地はなかったろうな。トッププレイヤーの全盛期のプレイを主要大会で観れないのは大きな損失だろう。残念な話だ。

もしかしたら読者の皆さん、読んでいるor観ている聴いているメディアによっては、大坂なおみに非難轟々で、彼女に非があるかのような印象を受けているかもしれないが、それ自体がメディアの問題点そのものである。偏った見解のみが強調されてそちらばかりが拡散されていくのだから。庶民のコメント? メディアに毒されてる投稿と組織的な投稿がどうしたって?

兎に角メディア側に自省能力がない。極一部のフリーランスの人なら会見の改善にも言及しているだろうが、組織から出されるステートメントの省みないこと省みないこと。読んでて呆れた。まぁ誰のどれとは言わないけれど。

大体、大坂さんを諌める現トッププロや元トッププロの発言を読んで聴いてみればわかるだろうて。彼らは一様に、正に判を押したように「俺たちがずっと我慢してきたんだからお前も我慢しろよ」と仰っている。あからさま過ぎて脱力する。「あたしたちもずっとこのセクハラに耐えてきたんだからあんたたちもこれくらい我慢しなさいよ」と言ってるのにほぼ等しい。

だが、そういった過去のトッププロたちが折れてきた程にメディアというのは強大な権力なのだ。彼らの言う通り、どれだけ苦痛であっても付き合っていくしかない事柄なのである。

これは、プロテニスという競技の特性もあるだろう。ここまで「剥き出しの個人」として様々な対応が必要なケースも珍しい。というか、私が卓球と比較してるからだろうな。テーブルテニスというよく似た競技の割にそこの状況が全く違う。根本的に注目度が低いという大きな違いがあり、更にメディアの人間が卓球マニアだらけなので会見やインタビューにそこまでネガティブな印象が無い。更に、中国という国が中心になっているだけあって、個人競技のくせに国やチームという意識が強く、いざというときには所属団体が個人を守ってくれる。ここらへん、フェドカップデビスカップの権威がまるでないテニスとはまるきり異なるのだろう。

そもそも、記者会見が「苦痛だけど義務」とかいう低い見方をされていて記者の皆さんは平気なのだろうか? 本来、優れたインタビューや会見というのはプレイヤーからしても「新しい知見に気づかせてくれて面白い」などと言われるのが理想ではないのか。彼らが「自分にも何か訊いてくれよ」と望むのがあるべき姿では無いのか。根本的に嫌がられているという状況が屈辱的だとは思わないのか。「時として選手の嫌がる事も訊かないといけない」というのはその殆どが不正確である。大体においては「こんなに不機嫌になられるとは思っていなかった」という不見識を糊塗する為にこう言い繕われているのだ。そして我々はメディアを通してしかプレイヤーたちの言葉を知れない。そういう点で、SNSで直接言葉を発してくれる方がいい。責任の所在もわかりやすくなるだろう。

…1999年から『Message from Hikki』を通じて自らの言葉で語り続けてきたヒカルの今の評価をみれば、結局はそのやり方が誠実で正直で双方にとって望ましい事であり得るのは、我々が22年かけて身をもって経験してきた筈だ。まだまだ道半ば、いやスタート地点にも立てていないかもしれないが、事態が改善されていく事を願っている。