無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

『something beautiful』

『誰にも見せなくても

 キレイなものはキレイ

 もう知ってるから』

のヒカル訳が

『I don't need to show it to anyone

 For something beautiful to be beautiful;

 I already know it is』

になってるって話の続き。

まず、これをそのままGoogle翻訳に掛けてみる。

『誰にも見せなくていい

 美しいものを美しく。

 だということはもうわかっている』

おぉ、大胆ながら適訳。意味通じるわねこれで。「だということは」がやや唐突だが、"it is"が前段総てを請けていると解釈するならこれで妥当だ。まぁその話はまた今度にする事にして一方私による直訳はというとこう。

「何か美しいものが美しくある為に私が誰かにそれを見せる必要はない。私はもうそれが美しいことをわかっているんだから。」

直訳でもニュアンスで差が出てしまうのよねこれ。でも、こうやっているうちに少しずつ理解されていくだろう。そのほんの少しのニュアンスの違いに触れるか触れないかで『PINK BLOOD』への感じ方が変わる。

本質的な理解の為に少し工夫をしてみる。ちょっと理屈っぽくなるけど。

英訳としてこんな風にしてみる。

「I don't need to show it to anyone

 For beautiful things to be beautiful;

 I already know it is」

ヒカルの『something beautiful』の部分を「beautiful things」に変えただけだ。殆ど意味は変わらない。実際、Google翻訳にかけてもここは「美しいものを美しく」のままで全く同じに訳される。だが、私のように訳すとヒカルの本来の意図からは遠くなる。何故か。

それは、“beautiful things"という言い方だと、そこには「既に美しいと認められているもの」というニュアンスが込められているからだ。誰かにそう話す時互いの間には既にそれが美しいものだという相互認識が出来上がっている。だからこの文章は「既に美しいものを美しいままで保つためには」という含意をもつ方向に解釈され得る。

一方で“something beautiful”は「美しい何か」だ。英語ではこれを“beautiful something”とは書かないことを思い出そう。ここでは、美そのものが主眼、主題となっている。somethingは何らかのbeautyを宿す媒介だ。

“There are beautiful boys there.”、「あそこに美しい少年たちが居るよ。」と言った時、主題は「少年たちが居ること」であってその少年が美しいのはただの形容。「あそこにいる少年たちが美しい」と言いたいのなら“These boys are beautiful.”になる。

つまり“something beautiful”は、“something (that is) beautiful”なのだ。もっと言えば

“something (you now feel that is) beautiful”

である。「貴方がたった今美しいと感じた何か」なのだ。

これを踏まえると、ヒカルの書いた

『For something beautiful to be beautiful』

の「含意」は、

「あなたが今美しいと感じた何かが実際に美しく在るだと言える為には」という意味になる。そう、その為に誰かにそれを見せて美しいかどうか確かめる必要は無い。あなたが既にそれを美しいと思ったのならそれはもう美しく“ある”のだと。

この細かなニュアンスを踏まえた上で『PINK BLOOD』冒頭の

『誰にも見せなくても

 キレイなものはキレイ

 もう知ってるから』

の部分を聴くと、さっきまでよりはほんのちょっぴりスムーズに意味内容が入ってくるかなと思う。最初に聴いた時のほんの僅かな違和感を、こうやって本人御自らの英訳で解消してくれるって、贅沢な時間ですのよ。