無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

あたまがよくてやさしい人

あ、明日明後日の横浜アリーナ延期になったのね。よかった。

ならまぁその問題は遠目にしとこ。正確な情報がわからないと何も言えやしねーぜ。メタラーとしては、こんなことが問題になってしまう日々を乗り越えていつの日かモッシュピットをまた観れる事を楽しみにしています、ということくらいかな。

さて、現在連載中/刊行中の「不滅のあなたへ」第2部(アニメ第2期じゃないよ)が地上波アニメに向いてない的な事を書いたのだけど、その要点は「テーマが踏み込みすぎ」という所に行き着く。

優れた娯楽作品は大衆との距離感に対して細心の注意を払う。その時々の多数派の認識や常識がどこらへんにあるかを見極めながらメッセージを投げ掛けて来る。決して、進歩的になり過ぎない。

LGBTQ云々や人種問題なども、一流娯楽作品は「拙速」を大変嫌う。伝わらない・響かないメッセージを投げ掛けるのは自己満足に過ぎない、という徹底したプロフェッショナリズムを感じさせる。例えばディズニー・ピクサーの作品などは、こどもたちと親御さんたちに対してその時代々々でタイムリーなテーマを放り込んでくる。

先週うちのタイムラインで話題になった映画「グリーンブック」などもそうだった。人種差別をはじめとした様々な社会問題を、歴史の流れを踏まえつつ、ひとつひとつ慎重に、焦らずじっくり、しかしスマートに簡潔にテンポよく、2019年の米国或いは地球の映画視聴層の多数に響くようにテーマを厳選して言及していた感が強かった。あの内容が10年早かったら机上の空論とか夢想的だとか言われてたかもしれない。1962年頃の実話をベースにしていながら、紛れもなく21世紀の作品だった。

不滅のあなたへ」第2部は、読者層を考えると、そこで描こうとしているテーマが行き過ぎだと思える。特に10代の少年少女に対して恐らくこれから投げかけてくる問題提起は切実過ぎる。勿論、この大今良時の大胆な賭けが成功する可能性もあるけれど、一大エンタメ絵巻として完結した第1部に対してこの第2部はやたら実験的且つ挑戦的で、ぶっちゃけいつ打ち切りにされてもおかしくない、とあたしゃ思うんだな。

……だなんて、ネタバレを避けようとする余り意味不明な書き方になってしまった。

で。ヒカルって、そういう距離のとり方するんだろうか? ハリウッドみたいな。まだこの考え方は新し過ぎるからもうちょっと何年かあとの作品に搭載しよう、とかそういう調整を。例えば児童向け作品で同性愛をどう描くかとか、そういうヤツね。なんか、あんまりそういう風には考えていないように思える。

かといって、置いてきぼりになることって、無い。そもそも言ってる意味がわからない事が少ないのだ。謎めいた言い回しとかならあるよ。『あなたの部屋に歩きながら』って、具体的にはどういうシチュエーションを想定しているのだろう?とかね。半同棲や通い婚なのか、或いは離婚した後だったり? それとも、病室とか? そういう「謎」ならあるけれど、考え方が急進的過ぎてついていけない、みたいなことはあんまり記憶に無い。ヒカルほどインテリジェンスに溢れていたら、難しい言葉だらけの先進的な思想に塗れた歌詞を生み出してもいい気もするのだけど、無ぇなぁ。

勿論、反対の考え方が古過ぎるとか保守的過ぎるとかも全然無い訳で、その上で、なんて言ったらいいんだろうか、一流ハリウッド映画みたいに「言いたいことまだとってあるよね?今回は我慢したよね?」っていう雰囲気がまるでないのよなぁ。これって冷静に考えると凄まじく難しいように思う。あれだけ頭のいいヒカルが全開で全部投げつけてくるのに、何言ってんのかわからないってことがないんだから。当たり前すぎる結論だけど、「想像を絶するほど性格が優しい」のが理由としか思えない。「わかりやすく伝える」事が、「リスナーに“取り残された感”を一切感じさせない」という目的に全フリされているというか。誰もやらないアプローチで「最終的にはPop Song」に落とし込んでいる気がする。いやはや、うん、なんだお前?(笑)