無意識日記々

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ライブ・アルバム待望演説666回目(嘘)

明日アイアン・メイデンの新作がリリースされるというので私はもう一日中気もそぞろ。デビュー41周年。あと何枚新作を聴けるかなと思うと一枚一枚一曲一曲じっくりと噛み締めていきたい所存。勿論遠慮無く首振るんだけど。

前作から6年ぶりか。その前は5年ぶりだったしその前は4年ぶりだったしその前は3年ぶりだったか……順調にゆっくりになっているのだけどちゃんと間にライブ・アルバムをリリースしてくれてるのでそこまで久しぶりという感じはしないのだった。こっちも歳とってるしね。

、、、とと、彼らの話を始めたらもう1個無意識日記が必要になるので(誇張ではない)ここらへんでやめとこ。何しろ今まで生きてきた中でいちばんたくさん耳にした音は自分の声じゃなくてスティーヴ・ハリスのベース音なんじゃないかと本気で疑うくらいなのでな……。

と、いうことで、毎度お馴染み「何故宇多田ヒカルはライブ・アルバムを出さないか?」という話にかります。

勿論答えは「DVD/Blurayで出してるから必要無い」で終わってる。『Laughter In The Dark Tour 2018』からはスカパーとNetflixで配信も始めた。それで十分だろう、と。

しかし私は物足りない。ライブDVDってのはヒカルの表情や立ち居振る舞いのかわいらしさも含めた「総合エンターテインメント作品」だ。純粋に音楽的に評価・観賞しやすいとは言い難い。勿論あたしゃ個人としてclassicの頃からiPodにライブDVDをぶち込んで音声のみで楽しんではいるんだけども、操作性がよくないし、何より個人的過ぎるだろそれ。皆に勧めづらいし。

折角アイアン・メイデンの話を出したので、見落とされがちな論点を今一度強調しておく。彼らの作品はおしなべてスタジオ・バージョンよりライブ・バージョンの方が出来がいい。理由は結構単純で、彼らの曲は長尺な曲が多い為、曲を覚えたてのスタジオ録音時には演奏者各自がまだ楽曲の要点や構成やダイナミズムを実感として把握出来ていないのだ。故に特にツアーが終わる頃のライブ・コンサートでのテイクではバンドのメンバーが楽曲毎の要点を把握していて全体としてのアンサンブルがより統一的でダイナミックなものとなっている。その迫力の差はかなりのものとなる。

ヒカルさんの場合、楽曲制作時点でしこたま曲を何度も練り込んでいる為別にコンサートで歌ったからといって新しく曲の魅力に気づくということはないだろう。しかし、それはヒカル本人のみの話。バンドのメンバーの皆さんは別な筈だ。スタジオ・レコーディングに参加したメンバーであっても、結局は完成した楽譜を渡される所からのスタートだろう。ヒカルの理解度とは雲泥の差があるのではないか。

そこから1ヶ月なり2ヶ月なりのツアーを経て楽曲が身体に馴染んできてどこをどうすればより映える演奏が出来るかを把握出来ていく。その意味では、特にツアー最終日にライブ・アルバムを録音してくれると嬉しい。演奏の迫力が違う。

しかし、シンガーは事情が異なる。ツアー終盤の頃には喉が疲弊していてベスト・パフォーマンスから程遠いこともしばしばなのだ。理解度ではなく、体力の問題だね。だから最終公演を録音日に選ぶのはリスクが高い。

ヒカルのツアーDVDを振り返ると、様々なタイミングで収録されていることがわかる。『Laughter In The Dark Tour 2018』は最終公演、『In The Flesh 2010』はツアー最終盤の2箇所、『UTADA UNITED 2006』は中盤の2日間、『ヒカルの5』は5日間のシャッフル、『Bohemian Summer 2000』はツアー最終の追加公演、という具合。真ん中だったり最後だったり混ぜ合わせたりと様々だ。ツアーではないけど『MTV UNPLUGGED』も2回収録してシャッフルだわね。兎に角、この二十年ずっと試行錯誤してる感。

これらの経験を踏まえた上で、ライブ・アルバムを録音して欲しいのだ私は。そう言い続けてもう十数年だけど、やっぱり作る気がないんだろうかねぇ。いやいや、望みを捨てずにこれからも言い続けますよ。何しろ、上述のアイアン・メイデンのように、ライブ・テイクってなスタジオ・バージョンより遥かに出来がいいケースが少なくないのでな。宇多田ヒカルという稀代の歌手についてそんなテイクが存在するとするなら、是非手元に音源として残しておきたいのですよ、えぇ。