無意識日記々

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間隔の感覚を封じ込める「アルバム」

このまま行けば次のアルバムは約3年の「スパン」が収録曲群に込められる事になる、という話。リリースでそうなのだから制作期間となるともっと長くなるかも。『PINK BLOOD』も昔の曲だって言ってたしね。インスタライブでちらっと披露した未発表のアイデアなんかもどこでどう活かされるかわかったもんじゃないし。

年齢の主観というのは対数で(比率で)みるものなので、16歳の時の3年と36歳の時の3年では全く間隔の感覚が違うのだけれど、一方でヒカルはこの間、こどもの成長を見守ってもいる。乳幼児たちにとっては毎日が成長と吸収の日々だからその変化のスピードは大人から見たら大変眩しい。そこらへんが反映されるかどうかもみものだろう。

TwitterInstagramで呟かれる親子エピソードも随分と様変わりした。ウェットティッシュを押しつけに来ていた彼が今や周りの子達からハンサムと言われるまでになってんだもんね。世界の見方も変わろうというもの。

更にその上に感染症禍が降り掛かってきているのだからこちらも大変。2011年の震災の際に『桜流し』の世界観があぁなったように、人の感情に強く訴えかける出来事は歌詞にも反映されていく。もっとも、感染症禍はずっと続く鈍痛なのうなものなので(その中で実際に感染した人達の悲劇は全く様相が異なるが)、もたらされる感情も焦らすようなものばかりになっていて、音楽に反映させる事自体が難しい。なかには「COVID-19」っていうそのものズバリなタイトルの曲を書くミュージシャンもいたりするけども、ヒカルはなかなか難しいんじゃないかな。自分で歌う為の歌詞に使うにはな。

リスナーの記憶にも影響が出る。例えば私なんかは当初『Time』を聴くと俄かに「美食探偵」のエンディングが思い浮かんで分かち難かったのだが、今聴いても「そういやこの歌ドラマの主題歌だったか」となってたりする。これは当然個人差があり、今でも『Can You Keep A Secret?』を聴くとドラマ『HERO』のエンディングを思い出す人が多かろうが、私は『In The Flesh 2010』のパフォーマンスが真っ先に思い出されたりもする。

そんな中で年月の経過という客観的な数字は全体の傾向を示す時に最もシンプルかつ明らかな影響を与えるだろう。『ULTRA BLUE』を聴く時に、着慣れたパジャマと新品のワイシャツが一緒に放り込まれたタンスを開けたような感覚に陥ったように、次のアルバムを聴く時も、『Face My Fears』とアルバム初出の曲で着心地や熟れ具合がまるで異なる印象を与えられるかもしれない。ある意味、そういう構成の方が本来の意味での「アルバム」らしくっていいような気もするわ。写真沢山貼ってある方のね。でもそれは、『Face My Fears』が素直にアルバムに収録されたら、の話になるんだけども。それについていえば……って話からまた次回。