無意識日記々

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あの頃は、だはーっ。

そうそう、ラスキスのアメリカ盤LP今日発売なんだってね。輸入盤なのにえらくプッシュしてるな。最早それはジャケ違いの日本盤なのではという気がしてくるぞ。もうこうなったら日本語で帯をつけよう。

一方同日にメタリカがブラックアルバム30周年記念盤「メタリカ・ザ・ブラックリスト」を発売する。様々なゲストがブラックアルバムの曲をパフォームしている企画盤なのだが、なぜ小学生の頃からこのブラックアルバムに親しんでいるUTADAに声が掛からなかったのかが不思議でならない。カラオケのレパートリーにもしているというのに全く……2007年に沢尻エリカレッド・ツェッペリン再結成コンサートに呼ばれた時も臍を噛んだ気がするが今回も似たような感じだわ。そのうち痺れを切らしてヒカルが自分からメタリカをカヴァーするのを楽しみにしておこう☆

てことで前回の続き。アルバム収録曲の制作時期間隔が長くなると、大抵「サウンドが揃わない」という弊害が出てくる。作品としての一体感を阻害するくらいに音が違ったりする。しかしながらヒカルの場合、『ULTRA BLUE』のようにサウンドが多岐に渡っていてもその「声」で作品に一本筋を通せるのが強い。あと、2018年のタワレコポスターで『時代と関係のないところで生きてきたのでわかりません。』と言い放った事からもわかる通り、ヒカルの音造りは余り時代性に左右されない。『First Love』アルバムが「あの頃のR&Bサウンド」なのは、サウンドメイキングに対するヒカルの貢献が低いからでしかない。なので、ヒカルがプロデュースしている以上、曲の制作時期の幅が3年を超えても、そこまで大きな破綻や違和感はみられないだろうね。

しかし、だ。ここ数年は他者からのインプットも増え、更にプロデュースでは共同名義も出始めた。『Face My Fears』はSkrillexとPoo Bear との共同プロデュースだし、最近の曲は軒並み小袋成彬の名が。事態は昔と違ってきているのだ。

問題なのは、彼らがヒカルよりずっと「流行に敏感」なタイプだということだ。『Face My Fears』は如何にも2010年代後期EDMサウンドという感じだし、『One Last Kiss』のアトモスフェリックな音造りはストリーミングの新時代(ハイレゾとか360Rとかドルビーアトモスとか)を見据えたものだと思われる。それぞれに同時代性が意識されている。

それが裏目に出るかどうか。「あの頃のサウンド」が聴けるというのは決して悪いことではない。昔の曲を褒める時に「今聴いても全く古臭くないですね」と付言するのは定番の流れだが、じゃあ古臭かったらつまらないのかというとそんな事は無い訳でね。ノスタルジー倍増で寧ろその当時聴くより感動したなんてことすらあるかもしれない。

ヒカルがそれを気にするかどうか。その一点に尽きる気がする。では、実際のところ気にするかどうかは……また来週考えることにしますかねー。土日に何の情報も追加されなければ、ですが。