無意識日記々

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どちらの曲順がお好み?

ほう、吉高由里子が番宣で情報番組に出演してヒカルの曲がギリギリで完成した風に発言したと。納品完了なのかな。そりゃよござんした。最後の最後まで歌詞を練るのは毎度の事だしな。

常にこういう作り方ならわかりやすいのだけれど、ご存知のように例えば『PINK BLOOD』はどうやら『One Last Kiss』よりも前からある曲らしく、リリース順は必ずしも制作(開始)順と一致しない。

自分の感覚からすれば、曲の作風って時間経過とともになだらかに連続的に変化していくものだと捉えているので、特に意識的な関連性のない楽曲たちを集めて「アルバム」と名乗るのなら、安直に「制作順」で並べて聴いた方がナチュラルなんじゃないかと思ったりもする。

当然それは、作風の流れであって、目の前の音符の流れとは違う。全く関係ない楽曲同士がそのまま素直に繋がるとは限らないので、アルバムに寄せ集めの楽曲を収録する場合はテンポやリズム、キーの遷移などを吟味して曲順を構成するのが、ひとつの作品を提供するスタンスとしてはスタンダードだ。

ただ、それを突き詰めるのなら最初っから組曲として全曲を作った方が全体の流れとしては上手くいくはずだ。そうなるように設計するんだからね。

毎度触れているように、世にある「アルバム」という作品は大概において如何にも中途半端ではある。単なる曲の寄せ集めでもなければ、ひとつのテーマやコンセプトやストーリーに基づく訳でもなく。わざわざコンセプトアルバムという言葉があることからもそれは明白だ。

ヒカルの場合、昔は「曲の寄せ集め」という意識が強かったのか、曲順を決める会議には出席していないようだった。制作を終えて疲労困憊で最後のレコーディングが終わったらさっさと突っ伏してたというのが大きいのかもしれないが、こと最近二作である『Fantôme』と『初恋』に関しては曲順を決めるプロセスにも積極的に関与したらしく。昔とは事情が変わっている。

ここで悩ましいのが、作品をどう捉えるか。リスナーのニーズとして、アルバムの音楽的な流れを重視するのか、それとも、“宇多田ヒカルという人”に興味があるのか。前者であればマスタリングも含めた、言わば作編曲の続きという感覚で挑めそうだが、後者の場合は、先程触れたように「作った順番」で収録するのが賢い。宇多田ヒカルという人の機微の流れをそこから掬い取れるからだ。これは、意図して作られた流れではなく、一曲々々を全身全霊で作ってきた結果として生まれた流れである。 

意識と無意識の違いと言ってもいい。バラバラの楽曲の集まりからパズルのように「こういう流れが作れるからこうしよう」とプランを立ててアルバムを構成するのと、「気がついたらこうなってた」と自然発生的な統一感が生まれてくるのと。どちらがいいのかは、わからない。

言い方を変えれば、舞台裏に興味があるかどうかということもできる。「創る過程」まで楽しもうというかね。美味いもん食った時にレシピを知りたくなる欲求というか。でもま、食べて美味しくてよかった、で完結する事の方が多いかな。次のヒカルのアルバムがどんな曲順で来るか、シングル曲が揃ってくるとますます気になっていくのでした。

『First Love 15th』の時みたいに、普段のオリジナルアルバムでも各曲の制作時期を記してくれれば、自前でその「制作順」のプレイリストを作って楽しむんだけど、できませんかねぇ?