無意識日記々

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音でできた冬の海

さてその配信になった『君に夢中』のフル音源だが、いうまでもなく素晴らしい。ほんと外さんなぁヒカルは。

radikoで聴いてきたここ最近の印象では(連日オンエア情報を届けてくれた方々どうもありがとう。お陰で毎日『君に夢中』が聴けていました。)、季節感とも相俟ってその「冬感」の強さが印象的だったが、こうやって改めてロスレスでヒカルサウンドに包まれると、こんなにも色々と豊かな音色が鏤められていたのかと驚愕するやら嘆息するやら。

何よりもそこに、私は「海」を感じた。本当に色々な音が響いているが、これはクジラの鳴き声かな、こちらはイルカかな、なんだかウミネコみたいだぞ、カモメも飛んでいるのかな、押し寄せては引いていく波のような音、大きな波も小さな波もやってくるし、海底をうねるように進んでいく海流のイメージもあり、更には水面を吹き荒ぶ海風に聞こえるような音もあって、いやこれだけ海のイメージを喚起されたらそりゃ最後には人魚も歌い始めるわと妙に納得してしまった。兎に角あちらこちらにあれもこれも鳴っていて、その描き分け方は、曲として似ているわけではないがまさにドビュッシー交響詩「海」を想起させるイマジネーションの奔流を印象派的に描いたものとなっていた。

これだけ豊富なアイデアを、しかし、全くせわしさを感じさせずに聴かせ切るのは一体どういうことなんだろうか。「音数が少ない」という感想を複数見掛けたが、そう言いたくなるのもよくわかる。音が鏤められているのにとっちらかっていないのだ。しっかりとひとつの楽曲としてまとめられている。

それはひとえに、総てのサウンドがヒカルの「歌」に焦点が合うように誂えられているからだ。どの音にも意図と意思を感じる。しかし印象派らしくそこは機能美というよりはもっと直接的な音色や旋律に依拠した聴感を重視していて決して観念的にはなりすぎない。故に『君に夢中』の、嘗ての『Stay Gold』などにも通じる非常に素直な動きをする旋律が殊に映えて際立つ。結果着地点としてはPop Musicになるしかないという、サウンドを眉根を寄せて解析しようとした人間を手玉に取る手品のようなサウンドだ。いつの間にココに辿り着いていたんだ!?と目を覚まさせられる。

ここまで趣向と技巧とノウハウを凝らしておきながら、いや、だからこそかな、聴き手は何も考えずにこの音の海を揺蕩う事が出来る。外の世界の厳しさと対照的に、優しく、大きく、そして切ない歌声がまぁ沁みること沁みること。これは疲れていれば疲れているほど効き目があるなぁ。

人はストレスに晒された時に海を見るだけでもそれを軽減する事が出来るというが、我々はこのせわしない日常の中で、遠く寒い冬の海まで出掛けなくてもこの『君に夢中』のサウンドに包まれることでそれと同等以上の効果を得ることが出来るようになったのだ。全く以てまたもやとんでもない楽曲を世に解き放ってくれたものだ宇多田ヒカルは。これを知ってしまったら、もうこの曲の無い世界線には戻れないよ。