無意識日記々

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結末と曲調の共鳴

※ 今回もドラマ「最愛」についての話なので未視聴の方はここで閉じ去る事をオススメします。

「最愛」の最終回、犯人は誰だろうと固唾を呑んで画面を見つめていたがそれは主役の一人である井浦新演じる加瀬さんだった。まぁご存知のように。

これがもし視聴者を巻き込むタイプの(例えば漫画版の「金田一少年の事件簿」とかエラリー・クイーンの一連の著作のように)推理当てドラマだったとしたらそれほど劇的な幕切れとは言えなかったが、このドラマは元々サスペンスとして扱われていたのだからこの結末はかなり上質なものだったと思われる。

サスペンスというのはつまり「ハラハラドキドキ」という心理や感情を楽しむジャンルであり、推理の知的な遊戯とは別物なので、加瀬さんだったという事実を知ったときに視聴者の心がざわつくことこそが主眼だったといえる。それは見事に達成されたかなと。

個人的には、彼が序盤からほぼ嘘を吐かずに誠実に振る舞ってきた挙げ句の結論だった所に溜息が出た。つまり、いい人ぶって「家族のため」とか言い続けてたんだけど実は裏側では酷いことをする悪人だった、という犯人像ではなく、寧ろその「家族愛」を貫いた有言実行言行一致の挙げ句の犯行だったという所が甚く感動的で、「最愛」というタイトルに相応しい幕引きだったと言える。極悪サスペンダーの死亡に関しては巻き込まれただけだし、栞の死も事故だし、サスペン父に関してはああ言われちゃ仕方ない面もあった。その結果、第1話から貫かれてきた加瀬さんのキャラクターを覆すことなく貫き通した結末がああだったというのが、そう、よかったのよね作品として。

そこらへんの機微を最初っから掬い取っていたのが主題歌たる『君に夢中』だったと言える。確かにこの歌は人のパブリックとプライベートのような表と裏、外と内といった対比を描いてはいるが、それで人を裏切る描像には至っていなかった。

『嘘じゃないことなど

 一つでもあればそれで充分』

の一節にはその機微が凝縮されている。加瀬さんは自らの最愛を貫いた結果様々な危うい場面に立ち会った。それについて黙っていた事は間違いないが、自分の最愛の感情に嘘を吐くことだけは決してしなかったのだ。

どう考えてもこの一節は物語の結末を知った上でないと書けなかったろうなぁ、と「最愛」全10回を観終わった今なら思えるが…と書きたいんだけどいつも言ってる通りヒカルなら結末を知らずにこれ書いてる可能性が残るからほんと怖い…まぁそれについてはくどいな私も。

ただ、この加瀬さんが姿を消すという幕切れは、『君に夢中』の切ない曲調とこの上なく共鳴している。その点は、ヒカルの事前知識がどうだったかという話とは全く関係なく、このコラボレーションの成功を如実に告げていると断言して差し支えないだろう。ヒカルはサスペンスという枠組みのこのドラマのテイストを最初っから見事に読み切っていた。単なるハッピーエンドでは視聴者の納得を得られないと知っていたのではなかろうか。

制作側も、『君に夢中』の曲調と歌詞の世界観に、予め用意していた結末の確かさを再確認させて貰えたのではないかなと、勝手に思っている。どうしてこうも美しく纏まったのか、奇跡的にも感じられるのだけど、これまたやっぱり宇多田ヒカルならあり得ると納得させられてしまいそうになるのだから、アニソンに限らず、ドラマの主題歌を歌ってもヒカルはアンフェアでチートでずるいのだった。次のタイアップも非常に楽しみですわ。