無意識日記々

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about a boy with a joy

あー書きたいネタがわんさとあるのになかなか書き切れなーい。(愚痴) こういう時の方が筆が乗らないというややこしい性格です。さてさてこほん。

ヒカルの「ノンバイナリぶり」というのは、音楽面ではそんなに目新しいことでもない。今回もそこはいつも通りという感じ。

例えば『BADモード』は男の子モード。『神様そりゃないぜ』の男の子口調から

『エンドロールの最後の最後まで

 観たがる君の横顔が

 正直言うと

 僕の一番楽しみなとこ

 楽しみなとこ』

まで、これはいわゆる男性性、『君のこと絶対守りたい』という“男らしい”とされてきた価値観に基づいている。

一方でこのアルバムには『キレイな人』がある。

『王子様に見つけられたって

 私は変わらない』

この、男の存在に依存しない自身の価値を高らかに歌い上げるところは、生粋のフェミニストという感じがして私なんかは非常に好感と共感が持てるのだが、男の立場からすれば耳が痛いような。

この男女どちらの視点からも歌えるのがヒカルの強み。どちらの立場からも好んで貰える歌が歌える。

ただ、前も述べたように、ヒカルのインスタグラムの代名詞欄は『she/they』だ。これはまず「女性としてみてもらっても構いませんよ」というエクスキューズだろう。性自認はノンバイナリだけど、あなたが私を女性として呼び掛けてくれるのは大丈夫、という。それがNGな人もいるからね(というかそういう人のための代名詞表記だわね)。

ただ、もっと積極的に「女性であること」も視野に入っている気がする。性自認とは別の観点で。シンプルに、女性としての肉体を持っているということ。

それがいちばん歌詞に表れてるのは、あの曲のこの場面。

『Can you satisfy me ?

 Boy you know what I need ?

 I just want your body

 I just want your body』

直接的! ド直球!

あんまりにもあまりにもそのまんまなので、ここを指して「私も共感する」というリスナーが表に出てきてくれてる場面を私は未だに見ていない。仕方ないか。ちょっと勇気が要るもんね。あたしはあたしで、ここをおっさんが解説するのは凄まじく気が引ける。まぁ、要らんか。翻訳にかけたら(かけなくても)すぐわかるし。

上記2つ、『BADモード』と『キレイな人』とは違って、こちらは英語歌詞。日本語じゃとてもじゃないけど歌えないかんね。性別を自在に跨ぐとき、言語も自在に股にかけるのがヒカルさんなのでありましたとさ。

追記:少年愛に目覚めた男性の歌詞でもいいよね、って言いたかったんだけど止めといた。なんとなくそこらへんはまだまだな気がするので。やれやれ。