無意識日記々

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『そういうところ、運が良いので。』

「VOGUE JAPAN」2022年7月号のヒカルのインタビュー記事がWebで全文公開されている。…全文!? 発売1週間で?? 何してくれとんねんっ。

まぁあたし的には本文の引用がコピペで済むようになったので大歓迎。今まで逐一書き写してたからね。という訳で今回から楽させてもらいますよ。

今回、照實さんに対する身も蓋もない『割とアカデミック』発言と同じくらい、でもちょっと意味の違う感じに笑ったのがこちら。

『そういうところ、運が良いので。』

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode

自分で自分のことこう言い切ったんよ! 清々しいなっ。

現在もお世話になっている精神分析医の人とのご縁が繋がったことを指して言った一言。これの何が凄いって完全に確信を持って断定してるとこ。「運が良い」というまさに誰の手にも負えない筈のファクターについてここまで言い切るのってかなり難しいよ。

でもこれが「自分を受け容れる」ってことなんだろうなと痛感する。

「自分は運が良い」という台詞自体は、結構誰でも言うのだ。御縁に恵まれた、ラッキーだった、偶然に過ぎない、たまたまうまくいっただけ、などなど、何事かで成功した人は、他者との違いをそのように述べる。そして、大概は謙遜である。自分だけが突出してた訳ではない。次やったらどうなるかわかんないし、みたいなね。

ヒカルは違う。何の衒いも無く、それが事実なのだとして言い切っている。インタビューの流れをみてもらえればわかるが、ここは謙遜する場面では決してない。そして、普通人が「運が良かった」というとき、それは今まで通ってきた道が“たまたま”自分にとって都合が良かった、これは本質的な性質ではないんです、サイコロ振ったらゾロ目が出た、語呂合わせで勝ち馬投票券買ったら当たった、くじ引きで大吉を引いた、うん、運が良かったね、という風な言い方をする。次やったらわかんない、と。ヒカルはそう言ってるのではない。「私は“運が良い”という才能を持った人間なのです。」と言っているのだ。今までたまたま運が良かっただけではなく、これからも運が良いだろう、次やってもやっぱり運が良いだろう、と。(ヒカルがしっかり『そういうところ』と付言している通り、場面や条件は限定されるだろうけど)

これ、なんでこう言い切るかっていうと、今までの人生で散々思い知らされてきたからだろうな。こんなことは偶然に違いない、たまたま起こっただけだから次はきっと違う結果が出るはずだ、そうやってなんとか自分の「運の良さ」というスキルの実在を否定してやろうとやってきたんだけど、しかしあらゆる経験が明らかに自分の「運の良さ」スキルの存在をアピールしている、これはもうその存在を認めるしかない、まさに『誓い』の歌い出しの

『運命なんて知らないけど

 この際 存在を認めざるを得ない』

のあの一節そのものの心境に現実に到達したんだと思われる。だから開き直って認めて笑って断定するしかないのだ。最早否定する気も起きない。だからそれは、自信があるというより、その現実に折れてしまったというべきか。といっても、運が良いのは歓迎されるべきことなので、折れたといっても嫌な感じではないのだが。

その屈託のない笑顔を想像して、私は声を上げて笑ってしまった訳である。こうやって現実を直視して、逃げられない運命は受け容れてあげよう、ってのがこの精神分析の成果だとすれば見事なものだ。その運の良さを認めてもう自然に受け容れちゃっるなぁと思ったエピソードが今回のアルバムでもあってです)…って話は、長くなったのでまた次回ということで。