無意識日記々

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語彙凄い? そんなことないろん!

今朝のヒカルさんのツイートが叫び声ばかり(『うおおお』『うおええ?!』『ごんだあ』『ふぉおお』)だったので「作詞家ですら語彙を失うほどの興奮だった」と総括されてますね。

https://twilog.org/utadahikaru/date-221202/asc

いやでも、逆なのよね。自分の感情が既存の表現に当て嵌まらないから新しい言葉の組み合わせを生み出すしかなかったりする訳でね、作詞家ってのは。創造性は必要に駆られて、或いはもう「仕方なく」発揮されてたりするんですよ、えぇ。なので感情が昂ぶった時に語彙を失うのは作詞家あるあるなのです。

…いやでもそもそもこの人『言葉を失った瞬間が一番幸せ』って歌いながらデビューしてきたんでしたね…。失礼しました今更でした。

で。語彙力といえば『ヒカルパイセンに聞け2』でのこの回答が思い出される。

『ここ数年よく「語彙力が無さすぎて…」みたいな表現よく見かけるけど、語彙力と表現力ってあんまり関係ないと思うぞ。 』

https://www.utadahikaru.jp/paisen2/

これまた本当にその通りで。語彙って何かというと「ある人の使う単語の総体」のことで、要は使う言葉のリストですよね。で、語彙って豊富になればなるほど、伝わる人が少なくなっていく。そりゃそうだ、沢山の言葉を覚えるのは手間暇掛かって大変だからね。そんなことする人は少数だわ。

なのに何故語彙を増やしたがるかというと、効率がいいから。伝わる人は少なくなるけど、その際に細かいニュアンスとか歴史的背景とかを少ない音節で伝えることが出来る、言い換えると、精度の高い情報を短時間で伝えられるのが強味なわけです。なので、対話に費やす時間に対してより濃密でより豊穣な情報交換、意見交換が出来る。

これ、裏を返せば、能率を脇に置けば、少ない語彙でも伝えられることがある。その代わりに(その少ない語彙の中から)沢山の言葉数を費やさないといけなくなるんだけど、兎も角伝わることは伝わる。表現力って要は内面の共有だから伝える相手に同じ内面を感じて貰えるんなら、効率を一旦脇に置けるなら、語彙はそんなに豊富でなくてもいい。

優れた作詞家は、特にポップ・ミュージックの作詞家は、そこで頑張るんですよ。誰もが知ってる言葉を、出来るだけ少なく組み合わせて─ここが欲張りな点なのです─、精度の高い情報…つまり繊細な感情の機微を伝える事を目指すのです。そんな中から例えば『甘えてなんぼ』とか『降り止まぬ真夏の通り雨』みたいな、小学校卒業程度の語彙で独特の感情を表現する「新しい言葉の組み合わせ」が生まれてくる。

そういう意味では、「語彙に逃げない」のよね。ポピュラー・ミュージックでの表現力を鍛える為には、寧ろ豊富な語彙は邪魔。そこらへんのバランスを考えて『あんまり関係ない』っていう言い方をしたんじゃないかな。とそう私は思い返します。

なお、勿論ですが、特定の専門分野で即座に内容の濃いコミュニケーションをとるためには豊富な語彙力は必須なので、語彙を増やす努力は大変意味があります。それ自体大事。ただ、沢山の人に伝えたいという時には頼れないってだけですね。その時に伝える相手によって語彙が使い分けられたらいいですね。日本全体でサッカー観てるときなんかは、言葉を弄するよりただ叫んだ方が気持ちが伝わるってことで、結局それも作詞家らしいセンスだったと言えなくもありません。…ややこじつけかな!?(笑)