インタビューが供給過多になってきて困るのが(だなんて「満漢全席頼んどきながらお腹いっぱいになったんで残します」みたいな贅沢な事言ってますが)、流石に情報処理が追い付かなくなってくからか、幾許か聞き流す場面が散見し始める事だ。私がね。
単に歳取ったからとか暑いからとか眠いからとかで集中力落ちてるだけなんじゃないのとも思うけど、兎に角、そうなった時に記憶から削られるのが「より自分が共感出来ること」だったりするから始末が悪い。というか勿体無いのよねそれが。
つまり、聴いてて「あーね」「だよね」「あんたもか」「今更やね」と呟いて返した箇所ほど記憶が薄くなるのよ。「ん?今なんつった?」「それは聞き捨てならないわね」「ちょっと待ったそれは違うんじゃないか」と“気持ちが引っ掛かった”時の方が記憶に残る。
これで都合が悪くなるのがこの日記の執筆だ。いきおい、何についてから書き始めるかといえば、そんな風に“引っ掛かった”箇所からになってしまう。だからそれを日毎に積み上げていくと「この人、宇多田ヒカルと全然意見が合わないんだね」「逆張りばっか」「そんなに文句あるんなら聴かなきゃいいのに」だなんて感想を読者に持たれてしまうおそれが出てくる。今んとこは大丈夫やけどもな。
違うのよ、大半の発言に対してはうんうん肯いて同意して共感してるんだけど、脳がいっぱいいっぱいなもんでそういう時に聞き流しがちになって、結果日記で取り上げようと思った時に頭に浮かびづらくなってくるってだけなのよ。そこを誤解されるとつとに遣る瀬ない。
…という風な弊害を避けるために効果的なのは「全発言にツッコむこと」だったりする。その時思い出した印象的な発言ばかり率先して取り上げるから内容が偏るのであって、満遍なく発言を取り上げていけばこれ書いてる人(私)はヒカルさんに共感してばかりだというのは伝わるはずなのですわ。
しかし、となるとインタビューまるごと文字起こししないとってなるからな。力技が必要なのよ。てな訳で、それが出来るまでは次善の策として、「ランダムな位置から再生してみてそこの発言にツッコんでみる」というのをやりたいと思います。
今日は8/17だから8:17から再生してみよう。
『この作家の人が書いたこの本が、有名な本になってて沢山の人が共感してるってことは、あ、なんだ、みんな孤独だなぁって思う気持ち、みんな同じ気持ちを持ってそう感じてるだけなんだなぁっいう、証明みたいなものだったので、凄くそれが救われるっていうか安心感を感じてる…孤独を感じてるのにも安心を感じられるっていうようなとこからなんで。」
あーちょうどまさに「共感しかないから聞き流してた」とこに当たったよ! そうなのよねぇ、そういう本が売れてる、受け容れられてるってことは、そこに書いてある感覚や感情がその人達の間で共有されてるってことだもんねぇ、わかるわかる。というか、そのことに気がついた時の安心感だよね。ヒカルも『あ、なんだ』って言ってるけど、そこで腑に落ちることが読書の醍醐味で。部屋でずっと独りで読んでて自分の世界に閉じこもってるかと思いきや、同じように閉じこもってた人が何万人やら何億人やら居たっていう事実にぶち当たった時の肩の力の抜け具合っていうのはアハ体験とかユーリカ体験ともいえるもんだよねぇ。
ここらへんの感覚を応用したのが『虹色バス』の
『Everybody feel the same』
と
『誰もいない世界へ 私を連れて行って』
の組み合わせよね。
「みんな同じ事を感じてる。独りになりたいって。」
これ、『世界』とか『独り』を物理的に捉えると要点を見失うのよな。そこは「心の世界」であり「独りの心」なのよね。だから、誰かと同じ心になった時点で心は独りになれない。その孤独の限界と、常にある孤独に対する不安と、そこから脱したときの安心感とが、矛盾の中に絡み合って独特の「怖さ」「不穏」を作ってるところにこの『虹色バス』の独自性が…って脱線したな(汗)。いや、電車じゃないから脱線はしないか?(どうでもええわ)
…ふむ、これ面白いな。またやろうかインタビューランダムピックアップを。