無意識日記々

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#あなたの宇多田ヒカルはどこから タグの私なりの楽しみ方

かなり「 #あなたの宇多田ヒカルはどこから 」タグのツイートが出揃ってきたようなので、このタグの私なりの楽しみ方を紹介しよう。

ハッシュタグの持つ距離感というのは独特で、皆誰かに促されてファンになった切っ掛けを語り出したというよりは、常々話したかったけどこういう機会がなかったからようやく語れる!というテンションで呟いているようにみえる。自主性が高いのだ。

そうなると自然と口調は「自分語りモード」になり、自分の感情の振幅を過去に辿って言葉を紡いでいく事になる。するといきおい、「いつもより具体的な場所やモノや人について書く」ケースが増えてくるのだこれが。昔の曲を聴くとその頃の事を思い出す、と言った時我々は、曲が流れていた風景/情景まるごとを覚えていて思い出す。その頃暮らしていた部屋とか乗っていた車とかその日の天気とか、具体的なモノやコトやエピソードが歌手や歌と結び付き、ヒカルやヒカルの歌がもたらしたインパクトをまざまざと甦らせていく。いやはや、読んでいてとても楽しい。

ここでふと思い出すのは「まつもtoなかい」でのヒカルの発言だ。

『“七回目のベル”とか、7回まで電話数えてないし。』

『でもディテールがある方が表現したい感情に繋がる。知らない人でもそこでふわっと想像できる。』

これは、感情の結び付きの話だ。7回ベルを待つのが実話だったのか虚構だったのかはここでは問題ではない。その言葉で綴られた具体的な細部(ディテール)にリスナーの感情や思い入れが宿るものだから、歌詞には様々なディテールを入れるといいよ、という技法の話なのだ。Uber EATSとかマルセイユとかの固有名詞もそうだよね。多分今後コロナ禍を振り返るときに「家に引きこもって出前とったなぁ」とか、当時の感情と共に思い出すんだろう。ロンドンやパリやマルセイユを飛行機で旅する自由さに我々はいつだって思いを馳せるだろう。

「 #あなたの宇多田ヒカルはどこから 」タグは、過去25年のどこかでファンになった際、2023年11月現在も宇多田関連の情報をTwitterで収集し続けている(からタグの存在に気づけた)ほどに感情的に動かされた出来事についての語りが集積している、一言で言えば「とてもエモい」タグである。そこで皆が、普段のツイートより少し具体的な事を語ることで「あぁ、この人ってそんなことがあったのか」とよく知ってる人に対して思うような事が幾つもあるとしたら、それはヒカルが語る「歌詞を書くコツ」を反対側から眺めている事になるのだ。「歌詞でディテールを描くと表現したい感情に繋がる」のだから、「ある、自分にとって一生を左右するような強烈な感情というものを表現しようとすると、具体的なディテールについても語りたくなる。」のである。

そしてそれはとても個人的な感情の体験なので、そのときみた景色はその人だけのものである筈なのだけれど、何故か我々はそのうちの幾許かを共感出来たりまるで自分が経験したことであるかのように感じられたりする所が、このハッシュタグで味わえるかなり深い妙味なのだと私は思っているのですが、如何でしょうか?   …ちょっと深入りし過ぎちゃった?(・_・;)