無意識日記々

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いつも優しくていい子な君が調子悪そうにしてる12月です

『いつも優しくていい子な君が

 調子悪そうにしているなんて

 いったいどうしてだ、神様

 そりゃないぜ』

12月になるとこのお馴染みの『BADモード』の冒頭が、私にはいつもと違って聞こえる。クリスマスの時季になると決まって調子を悪くする優しくていい子が居ますよね。皆さん御存知、そう、宇多田ヒカルさんですね。

恐らく、ヒカルはこの『BADモード』の冒頭を、息子とか親友とか、他の誰かに向けて書いた筈だ。だけどこちらとしては、そうやって周りの人を『絶対守りたい』と言ってくれる貴女の調子が悪くなることに対していちばん『神様そりゃないぜ』と言いたくなるのよね。

とはいえ、その12月の不調が結果的に2021年12月28日の『気分じゃないの(Not In The Mood)』の聖誕に繋がったりもしたので、悪いことばかりでもなかったりする。そこがクリエイターの、音楽家の凄いとこよね。でもやっぱり、優しいヒカルさんには元気で居て欲しくて。ついつい聴き慣れた歌詞をそんな違った風に解釈してしまうのでした。

ヒカルがこういう優しい言葉を周りの守るべき人たちに歌いかけれるようになるまでには、かなりの長い物語がある。ひとつ起点になったなと思うのが2006年の『ぼくはくま』だ。絵本も参照してうただきたいところだが、この歌のカナメ、ココロは『ママ』の一言にある。恐らく、それまでの(デビューからの約8年間で)歌詞の中で、最も正直に自分の言葉を紡げた瞬間だったのではなかろうか。その一言を言えるようになる為にずっと作詞をしてきたのかも、と思わせるほどに。実際ヒカルは発売当時『ぼくはくま』を『最高傑作かも』と評して憚らなかった。

(ここで私の個人的な歌の感想をひとつ差し挟む。格好悪いが許せ。) その『ぼくはくま』の次の年、2007年に『Beautiful World』を初めて聴いた時に抱いた私の率直な感想が「なんだかお母さんみたい」だったのよね。更にそこから半年後の『Stay Gold』で、今度は歳下男子に優しく微笑みかける歳上のお姉さんみたいな歌を聴かせてくれるようになった。そんな風にして、自身の年月の積み重ねと共に「大人の女性として」「母性を持つものとして」ヒカルが成長していけたのは、その『ぼくはくま』で素直に童心に返って『ママ』と言えたからだったと、そんな風に思う。どんな技能を身につける時でもそうだけど、ずっと目を逸らしてきた自分の弱点とか幼さとか至らない所に真正面から向き合えるようになったポイントから人はぐんぐん成長していくのよね。それが宇多田ヒカルにとっては『ぼくはくま』の『ママ』の一言だったのではないかなと。

その成長を受け継いで紡がれた歌の数々のひとつの結実点と言えたのが、そこから約四年後の2010年に発表された『嵐の女神』だった。この歌では母に対する自身の思いを切々と訴え、ストレートに『お母さんに会いたい』と歌い、しかし曲の最後で

『私を迎えにいこう お帰りなさい

 小さなベッドでおやすみ』

と歌った。それまで母親への憧憬を歌っていた、母をただただ望んでいたひとりの少女が、ここで誰かを暖かく迎え入れる方に重心を移したのだ。『ぼくはくま』がヒカルの新たな成長への起点だったとすれば、故に『嵐の女神』は変曲点とか結節点とかになるんかな。ここに至るまでに培ったお姉さんモードや母性モードを遺憾なく発揮して、まず自分自身を受け容れ許し暖かく迎え入れたのだ。以後は2017年の『あなた』に代表されるように、産んだ息子への愛を何の衒いも無く表現して見守る方の立場を揺るぎないものにしていくのだけれど、この、「まず自分自身を受け容れた」というプロセスを十何年も前に経たのだから、今に至って板につきまくってる頼もしきパイセン・モードによって歌われる『BADモード』の冒頭の歌詞を自分自身に向けてあげてもいいのになと、私なんかは思うのでありましたとさ。多分、それを実際にヒカルに言うのは成長した息子なんだろうなぁ。泣かせるぜ。(いつになるかわからない未来を妄想しながら)