無意識日記々

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うん、壊すのはまだ先だ。

気がついたら私、『BADモード』が「生涯で最も回数聴いたアルバム」になりつつある。恐ろしい。私1992年に買ったアルバムとか30年間毎年聴き続けていたりするのにその回数を上回る模様なのはもう何というか絶句する他ない。まだ発売から1年経ってないんですがね。おかしい。明らかにおかしい。

もう最近『BADモード』が鳴ってると安心するんだよね。つまり、鳴ってない時私は不安になっているのですよ、その分。完全に中毒、依存症である。どんなドラッグよりも始末が悪い。これ、私から音楽再生機器取り上げたら器物損壊罪とか傷害罪に問われるんじゃないの私が(暴れるってことね)。やばい。明らかにやばい。

このおかしさとやばさを癒すものは何かないかと探したらありました。『ぼくはくま』。結局宇多田ヒカルの歌なのかよと自分でも思うが、最早これは毒をもって毒を制すということなのかもしれない。………そうか?(笑)

いやでも、ある意味そこがアルバム『BADモード』の"弱点"なんだと思うのだ。全曲名曲で抜かりなし。最早どこにも“抜いた”箇所が無いのよね。ずっと高いテンションで54分なり73分なりが過ぎてゆく。故に名盤なのだが、ここからどこにも逃げられない。

HEART STATION』アルバムはそこが違った。『Celebrate』『Prisoner Of Love』『テイク5』と緊張感マックスが続いた挙げ句の突き抜けた場所に『ぼくはくま』があった。ある意味、あのアルバムはあそこで“外に出た”のだ。アルバムのうちの1曲によってアルバム内からアルバム外に飛び出した。幾何学的イメージでは矛盾をきたすがクラインの壷でも想像してくれれば。(※普通の人間は視覚的に想像することが不可能な超立体の名前です)

『BADモード』にはそれがない。ボーナストラックである筈の『Beautiful World (Da Capo Version)』ですらこの世界の内に取り込まれている。それだけ「宇多田ヒカルの世界」の適用範囲が拡がって何もかも内側に取り込めている証なのだが、要するにそれだけヒカルが世界を手広く幅広く抱きしめられるお陰で何処にも「破綻が無い」のである。これが嘗て『かあさんどうしてそだてたものまでじぶんでこわさなきゃならないひがくるの』と歌った人の作品なのだろうか? 実際に自分がその「かあさん」になった今、息子にそんな風に言われるのは本意ではないかもしれない、という風に翻意でもしたというのだろうか?

うん、壊すのはまだなのかもしれない。『BADモード』で拡げた世界はまだ拡がるだろうからだ。このまま突き進む余地がまだまだある。『DEEP RIVER』アルバムを作った時のような「こんな作品作っちまってこのあとどうすんだ?」みたいな途方に暮れた感じはしない。最後の『気分じゃないの』の出来栄えからして、今の宇多田ヒカルは「まだまだこんなもんじゃない」のである。紛れもない最高傑作を作り上げたばかりだというのに! 私も言ってて恐ろしいが、そんな予感しかしないのである。毎日『BADモード』(かLSAS2022)を鳴らしている人間としての率直な感想だ。

なので、外側だとか破綻とか破壊とかは、もう少し先の話になるだろう。その前にどっかでツアーしないとね。そして宇多田ヒカルのこれから進む道は、人類未到の足跡となる。心して掛からねばなるまいて。なので、そう、『ぼくはくま』のような歌がいつ生まれるのか、それをよくよく注視していきましょうねということなのでした。それが未来への布石となるだろう。…『HEART STATION』アルバムがの時のリリース順を思い出すと、次のシングル曲あたりがそうなるのかなぁ?