無意識日記々

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『僕らは幻らしい“けど”』


『何色でもない花』、1番2番の冒頭部分に続く歌詞はそれぞれ次のようになっている。


『嗚呼、そんなに遠くない未来

  僕らはもうここに居ないけど』


『嗚呼、名高い学者によると

  僕らは幻らしいけど』


不穏である。かなり不穏である。もう居ないとか幻だとか。一体何があった?


『名高い学者によると僕らは幻らしい』には出典があるとFFさんが紹介してくれていた。それによるとこれはアインシュタインの名言?のひとつである


“Reality is merely an illusion. Albeit a very persistent one.”


が元になっていそうだという話。これをGoogle翻訳にかけると、


「現実は単なる幻想です。非常にしつこいものではありますが。」


となった。…うむ、後半があるぞ? 現実は幻かもしれないが、結構しぶといと、アインシュタインはそう言ってるのね?


これ、歌詞にも当て嵌まるのかもしれない。確かに、『僕らは幻らしい』の次には逆接の


『けど』


が入っているのよね。歌の上ではここから、


『今日も

  I’m in love with you, 

  in it with you, in it with you… 』


と続くので、「仮に自分たちが幻のように儚い存在でしかないのだとしても、昨日も今日もそして明日も変わらず私はあなたを、僕は君を、愛しています。」という意味なのだとは捉えられる。だけどその合間にヒカルは、アインシュタインの後半部分、「幻であるかもしれないけれど、案外そう易々とはめげないぞ、諦めないぞ、しつこく、しぶとく生き残るぞ?」みたいな「秘めたる情熱」をそこに込めているのかもしれない。


その見地に立つと、1番の方の


『嗚呼、そんなに遠くない未来

  僕らはもうここに居ないけど』


の解釈も、変わってくるかもしれない。最初これを耳にした時、『ここに居ないけど』の『ここ』は、「この世界」、もっと言えば「この世」のことかなと思わされていたけれど、もしかしたら『ここ』=「現在の過酷な状況」のことなのかもしれなくて、だとしたらこのセンテンスは、「遠くない未来に僕らはこの困難を脱却している」という至極楽観的な見解になるのですよ、えぇ。


いやはや、そこまであからさまではないかもしれないけれど、ドラマの第1話だけに引き摺られて解釈していい歌詞ではないかもしれないなと、そんな風にも思うのでありましたとさ。週が明けたらすぐに第2回の放送だねっ。まーでも、そうは言っても、第6話までは過酷続きな気がしますわね…。