無意識日記々

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駅とか空港の掲示板でよくあるヤツ

さてNetflix英語字幕特集、『あなた』『道』とくれば次は『traveling』なのだがこれがまぁかなりいい訳なのだ。書き起こした英語を読んでいるだけであの『traveling』のイケイケな曲調が脳内に生じてくる。全文書き起こしたいくらいだがそれをやったらレコード会社から電話が来てしまうかもしれないので辞めておこうか。

どのセンテンスも本当に楽しげで楽曲のカラーも元の日本語詞のニュアンスもどちらも見事再現しているのだが、そうね、とりわけこれなんかが光っているのではないだろうか。

まずはもとの日本語詞。

『目指すは君』

リアルタイムで『traveling』を体験した世代はミュージック・ビデオのこの部分でまず打ち抜かれた訳だが、取り敢えずこの一文のGoogle翻訳をみてみようか。

"Aim for you."

うむ。これ結構いいと思うんだよね。逆翻訳すると「あなたを目指して。」になる。『目指すは君』の意味をよく汲み取ったシンプルな直訳だ。しかしヒカルはこう訳した。

Destination : You』

これですよ。「行き先 : 君」ですよ。カンカラカラカラカラカラカッシャーン!てなもんですよ。どうですかこの浮かれ具合。まさにあの『traveling』の出だしの昂揚感をそのまま体現してやいませんか。ある意味日本語の『目指すは君』以上に浮かれている。ミュージック・ビデオのこの場面で字幕に『Destination : You』って出たらもうなんちゅうハマり具合か。流石この思い切りのよさは原作詞者ならでは。他の人では"Destination : You"を思いついたとしても「それはちょっと浮かれ過ぎだろう」と躊躇うに決まっています。そこを平気な顔してぶち込んで来れるのが原作詞者による英訳の醍醐味なのです。

Netflixの『traveling』にはこういうキレッキレの英訳がまだまだありますのよさ。今後も少しずつ触れていきましょうかね。

U3での圭子さんはよくメガネ掛けてたね

メガネクリーナーふきふき」@いんすた。小林製薬の商品か。これでお金を貰ってたらステルス・マーケティングになるのかな? 朝の6時半に呟くのが効果的かどうかわかりませんが、全国のヒカル好きな小林さんはちょっと嬉しいかもね。

えぇっと、そうね今日はお母様の命日で。お墓がある訳でもないのだろうけれど日本に居て午前中のうちにお墓参りをするなら早起きにもなるか。散骨した海に出掛けるのが筋なのかなぁ…まぁそこはわからん。写り込んだ靴のタイプからすればお寺とかではないどこか自然の多い場所なのかなとも思ったり。このあと履き替えりゃ済む話ですが。

逆に新宿には行きづらいか。あれから6年。特に今日はそれこそ藤圭子ファンの皆様の目もあるだろう。「圭子の夢は夜開く」や「新宿の女」の歌碑があるのも新宿だしね。一歩後退るしかないかな。

ここに至るまで様々な歌を歌ってきた。『道』で『You are every song』と宣言したのだから総ての歌がお母様に捧げられていると解釈しても構わないわけで、それはひとりひとりの心に委ねられるが、少し笑って『そんな気分』と歌えるところまで来たのだから時計の針は着実に進んでいる。息子の背も伸びただろう。引く手の高さが上がってくうちに拾いモノシリーズも少しずつ少なく…ならないのがヒカルだよね。本日は厳かに。

something is letting us learn

英語の話ばっかりでなんだこれ授業か何かなのかよと思われてそうなので折角だからお勉強向きの一文も取り上げておこう。これまた『道』から。

元の日本語詞はこちら。

『人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』

教訓的な一節ですね。ヒカルはこれをこう訳した。

『It's not so much that we live as it is that something is letting us live』

えらく尺が長くなっているな。中高生で英語の学習をしている人にはお馴染みかもわからない「It is not so much A as B」の構文だ。

意味は「Aというより寧ろBだ。」

で、今ここでは

A = we live

B = something is letting us live

だ。このAとBを日本語に訳すと

A = 人が生きている

B = 何かが人を生かしている

となる。構文に当て嵌めてみると

「人が生きているというより寧ろ何かが人を生かしているのだ」

となる。主語が「人が」と「何かが」で揃っていないので主語を「人は」で統一すると

「人は生きているというより寧ろ何かに生かされているのだ」

となって、元の歌詞

『人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』

と大体同じ意味になった。「not so much A as B」の構文は慣れていないと意味を汲みづらいが、こうやって好きな歌の歌詞とその英訳という組み合わせで馴染んでおくと使い勝手が出てくるかもしれない。

多くの学生の皆さんは今夏休みかな。受験生でこの日記を読んでくれている人は在るだろうか。体調管理に気をつけてほどほどに頑張ってくださいませませ。

近日点移動とは一般相対性理論において云々…

のんびりNetflixの『Laughter in the Dark Tour 2018』をチェックしているとすっかり忘れていられるのだが、ヒカルはこの数ヶ月新曲に取り組んだりしている筈で、色んな告知がもうそろそろ来てもおかしくないんだったな。

特に『#ヒカルパイセンに聞け2』の回答が遅れているのが気に掛かる。もともと何の期限も定めていないのだから遅れるも何もないと思うのだがパイセン自身が『パイセンの回答遅れてて申し訳ない』と言っているので仕方がない。このツイートで止まって2週間なのでこのツイートばかり何度も目にするしな。

確信はないが、スタッフの方から「パイセンの回答いついつ頃までに一回アップして~」とかなんとか言われてたんでないだろうか。ウェブ上で我々の方にはその「いついつ頃までに」の部分は公表されていないとも知らずに、だ。本来締切も何もない話に申し訳ないと言ってるのはそういう齟齬でもあるんじゃないかと。まぁ邪推だな。

2週間以上先を「近日」というかどうかは個々の判断次第だが、ヒカルの場合「予告」を行うとまぁそこはハズしてくる可能性が強いのである意味慣れっこではある。飼い慣らされてると言うべきか、たとえ一年後になろうともそれは近日なのである。それ位のスケールになると近日点移動とかそういう話になりそうな気もするが兎に角近日なのだ。

これだけ待ったのだからさぞや気合いの入った回答を見せてくれるのだろう、と期待するのも間違いである。この企画はヒカルが思ったままを素直に言葉にしてくれた方が響くので、悩みすぎると碌な事がない。瞬発力を使わなかった時点で推して知るべし。しれっと次の質問を募集し始めても何食わぬ顔で新しい質問を送るべき…なのだが、まぁ普通は心情的に難しいよね。

この現状を打破する為には新曲をリリースするしかない。さすれば総て洗い流されて無かった事になる。曲がよければ尚更だ。皆が熱狂している間にこっそりパイセンの回答編をアップすればソレはもうただ単に嬉しいボーナスとなるだろう。もう幾らでも引っ張っても構わないんじゃないかな。ニヤニヤしながら見守る事に致しましょう。

“自分自身の成功で”

『調子に乗ってた時期もあると思います』

『道』を初めて聴いた時、誰もがこのパートを面白いと思ったのではないか。この部分をヒカルはこう英訳した。

『There was a point when I let myself

 Get a bit carried away by my own success』

直訳しなおすと「自分自身の成功でちょっと自分自身を見失っていた時期もありました」といったところか。「success/成功」という単語を使ってハッキリと宇多田ヒカルという個人の独白と受け取っていい訳し方をしている。何故なのか。

恐らく、非常に微妙なニュアンスなのだろう。日本語で「調子に乗ってた時期」という言葉の選び方をした場合それは自分自身に対してでしか有り得ない。誰かに「あんた調子に乗ってるな」とは言えない。だからこの短いセンテンスでリスナーは宇多田ヒカルの、例えば「お金ならあるわよ?」発言とかを思い出して「それすら茶化してたやん」とかなんとかツッコミを入れてヒカル自身の事を言ってるんだなと察せられるが、英語では難しい。なのでよりハッキリと私は歌手として成功してそれによってという言い方を選んだのだろう。Netflixの視聴者も、流石に眼前で1万人規模のオーディエンスを相手にして歌っているのを観ているのだから“success”と言われれば察しが付く。

そこらへん、色々と気に掛けながら訳しているんだろうな。Netflixという場所、或いは最初のバンドメンバーへの説明、そういったシチュエーションに合わせた訳し方をして本来の歌詞の意図をより正確に伝えようとしているのだろう。ここらへんの細やかさが職人気質を感じさせるところだ。家業で音楽家やってるだけの事はあるわいな。