無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

自らを助く者を助くタスク(…。)

昨今の報道をみていると、「正確な情報を出して欲しい」という要望をあちこちで耳にするが、受け手側の過剰反応ぶりから推測して正確かどうかなんて無関係だと思わざるを得ない。何したって疑うんだからどうしようもない。正確さへの追及や追究とは無関係な所で人の信頼は作られている。大概、テレビで持て囃されるのはルックスが穏やかだとか語り口がソフトだとか笑顔が素敵だとかそういう事が主で言ってる内容なんて関係ない。勿論一般人が専門的な議論を吟味できるとするのには無理があるのだから"その他の要素"で情報の信頼性を判断するしかないのだが、だとすればやはり"正確な情報を出せ"という要望は誤謬である。素直に"もっとお洒落な格好で出てくれば信用してやる"だなんて、確かにいえないもんなぁ…と思ってるうちにことばの方がひとり歩きして状況が混乱して皆で沈没していく結果となる。

有名人も、そういった無限降下スパイラルの怖さを知っているから、プライベートなことを話す時は慎重になる。事実に基づく話なら非難も受け入れられようが、身に覚えのない話で糾弾され始めたりすると全く手に負えない。そういう時に誰かが何とかしてくれる機構は、インターネットでは特にない。公的機関も人手がないからね。どうやって自衛するか、非常に難しい。

Message from Hikkiでもその都度々々々々様々な方法論がとられてきた。ある時は何時間もかけた長文で丁寧に説明し、ある時は黙して語らず、またある時は記者に突撃逆取材したり。その選別は非常に巧みで、毎度いろんな対応方法があるもんなんだなぁと感心させられてきた。

しかし、ファンとすれば起きたことは出来るだけ話して欲しいと思ってしまう。単純に何でも知りたいだけなのだが、"情報を出せ"と要求する側はその自分たちが情報を受け止めれるだけの節度と理解度があるかどうかの自省なんてしない。本当に知りたいのであれば「この人には本当の事を言っても大丈夫」という信用を情報の発信源から得る事が先であろう。果たして我々は、宇多田光から信用されているか? 本当に本当の事を知りたければ、それなりの備えと構えを自前で用意しておかなくっちゃね。