無意識日記々

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Here comes the metal meltdown

一週間陸浦島をやっている間に世間はメルトダウンがどうのと騒いでいる。何で今更と思っていたが、2ヶ月前に「恐らくそうだろう」と言っていた事が「確認された」という程度の話らしい。

つまり「メルトダウン」というキャッチーなフレーズがひとり歩きしている状態で、そこまで目新しい事でもないのだが、2ヶ月という時間をおけば威力は取り戻せるらしい。

流石に2ヶ月というのは極端だが、知識や情報というものは"学校"のように確り機構化されていないとある一定期間を経た後またいちから教えなくてはいけない。ひとはそれくらい忘れっぽい。

どれくらい忘れっぽいかを見極めるのは難しい。例えばテレビで各種番組を見ていると大体何年かごとに同じ(タイプの)問題が出題されていて(流石に同じ番組で、という事はないが)、個人的な体感で推し量るとそれは5〜6年ごとといった感じだ。大体、小中高のサイクルと同じくらいだろうか。それ位の時間を経れば人はクイズ番組の回答程度なら忘れてくれるのだろう。

音楽も似たような事がある。大抵、ある世代は直前の世代の音楽を古臭いとして反発しこき下ろすが、更に次の世代は2つ、或いは3つ前の世代の音楽に対してそのようなコンプレックスはもたない。そのサイクルは大体10年、或いは20年で、90年代初頭には70年代リバイバルが起こったし、00年頃には80年代の復権が取り沙汰された。若い人にとってはそれ位古いと憧れの対象になり得るのである。

さて、では宇多田ヒカルの場合どれ位で"忘れられる"のだろう。デビューから10年以上経っている為、時代のアーティストとしての看板は最早なく、J-popのスタンダードの位置を確立しており、また当初から全世代に支持されている為世代感闘争がない。となれば単純に、暫く顔を出さなければ半ば名前は"伝説化"するだろう。

これが、活動休止が2年なら少し長い夏休みとなるだろうが、5年となるとヒカルの事を知らない世代が現れるだろう。そして10年となると"歴史上の人物"として相対化され、復活した暁には上記の通り伝説扱いされる事になる。

休む期間の長さによって、人がヒカルに望むもの、期待する事は変化していく。忘却メカニズムを定量的に把握するのは難しいが、Twitterでの「最近Hikkiの呟きがない」ツイートの変動をみていると、やはりWeb世代はサイクルが速いとは感じる。今週はBlurayの発売があるので呟きがあるかもしれない。そこから後の「ひとの忘れっぷり」は具に観察しておく事としたい。