無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

machines and men at scenes

ライブ会場での"ライブ感"を演出するのにリズム隊が担う役割の大きさは疑いがない。WLでは時に打ち込みのまま、時に人力ドラムを駆使して、という風に曲によって対処方法を変えていた。

折角の生演奏なのにリズムが打ち込みなんて、とライブ感好きな私は思いがちなのだが、冒頭のGBHを聴いていて「ああ、これはこれで面白いんだな」と気がついた。

GBHは元々、PVのイメージもあってライブではポップでダンサブルな面を強く押し出してくるものと私は思っていて、「会場では振り付けどうしよう、Perfumeですっ!(昨日キリヤンがこっちに気がついたようですw@ツイ参照)位は最低抑えておかなきゃいかんかな」と今思えば余計な心配をしていた。

蓋を開けてみると、光は真ん中で殆ど全く動かずに美麗なイメージを保ったまま丁寧に唄い続け、ダンサブルなイメージはほぼ皆無であった。元々楽曲自体Synergy Chorusとストリングスの効果で荘厳かつ優雅な側面も持っているので、そちらのイメージを前面に出すとこうなるのかな、と一旦は思った。

実際、光の歌もリズムにことばを載せるというよりはメロディを丁寧に追うことに専念しているようにみえた。最初の方は、ね。

ここでリズムが"無慈悲な"打ち込みである事が効いてくる。もしこれが生身の人間によるドラム演奏なら光の唄い方を耳にして少し演奏をタメ気味にしたり、場合によっては全体のテンポを徐々に遅らせるような事もとっさにしてしまうかもしれないが、機械にそんな芸当はできない。光の歌のリズムがどうであろうが、それまでと同じ間隔と感覚でリズムを刻み続ける。

そこで、後半にいくにつれ光の歌に僅かばかり変化が訪れる。ことばをリズムに合わせるようになっていくのだ。ワンコーラスひととおり唄い終えて、今日は声が出ると安心したのか、メロディだけでなくリズムにも気を配って歌えるようになっていった。

これは、打ち込みのリズムが光の歌を無視して同じテンポを刻み続けた故に起こったダイナミズムだ。もし"ドラマーが気を使って"いたりしたら、優雅一辺倒のGBHになっていたことだろう。それはそれでよかったと思うけど。

つまり、生演奏の醍醐味は人間対人間の間だけにあるのではなく、人間対機械のケースであっても生じてくるものなのだ。マニピュレイションが大活躍するライブも悪くないな、と私は思い直したのだった。

ところで、私はリズムは打ち込みだと決めつけているが、キーボード2人にマニピュレイターまで居るのなら、誰かが指や足でリズムを刻んでいても不思議はない。或いはステージ下で誰かが演奏していてもいい。なので本当の所はわからない。耳できいた限りではリズム間隔は非常に正確で、人が演奏しているとしてもクリックトラック(メトロノーム)はカクジツに使っているとは思うけれど。