無意識日記々

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虹色バスと

Wishbone Ash は Iron Maidenにメチャメチャ影響を与えているなぁ…

と全く本文と関係ない枕から始めてみた。あと5年位したら偽Z武氏とはるかぜちゃんが不倫関係になりやしないかと訳のわからない心配をしつつ話を始めようか。

虹色バスは、なぜ虹色バスなのか。このイメージは、どこから来ているのか。何を意味しているのか。『誰も居ない世界へ 私を連れて行って』くれる何か、それを象徴する存在である事は確かだろう。

バス。大抵、みんなが乗っているイメージである。Heart Stationアルバムは"We"で始まり"Everybody"で終わるアルバムだ。『みんなを乗せて』『どこか行』こうとする虹色バス。歌のはじめは、兎に角この虹色バスはなんだかわからないけど"みんな"の救い手、希望として描かれている。

虹色。特定の色ではない。七色というか、最早総ての色が託されている。色でストーリーを紡いだCOLORSのようでもあり、色とりどりの生物の舞いを見せるOne Night Magicのようでもあり。いろんな色が入っている。要するに"みんな"の色である。

だが、最後の"本音"の部分を踏まえて考え直してみると、一台の虹色に輝くバスにみんなが乗り合わせて出発進行したら、いつまで経っても目的地に達しない。この"本音の願い"を叶える為の虹色バスは、一体どのようなものになるのだろう。

もしかしたら、虹色バスは1台ではなく、ひとりひとりに固有のバスなのかもしれない。色とりどりの生物の舞い、今の私はあなたの知らない色、つまり、虹色とは人の数だけあるその固有の色が居並んだ風景を思い浮かべる方がいいのではないか。

2曲前に、テイク5がある。銀河鉄道には様々な人々が乗り合わせてていた。しかし物語の最終盤、乗客は誰であったか。銀河鉄道はジョバンニにとって、何であったか。

鉄道とかバスというと、"みんな"が乗り合わせる何かだというイメージがある。それでいい。しかし、行き着く先は、本当に行きたい所は、本当に行かねばならない所は、実際に辿り着いてしまうのは、件の本当の願いである。道が別れる時は突然、なんて歌もあったな。

では、ひとり々々々に固有の虹色バスとは、現実の世界では何であるのか。勿論、色とりどり、人によって違うだろう。『私を連れて行って』と願う相手が、しかし、誰かの人である可能性もまた、考えてよいのではないか。

『早く//私を迎えに来て』と言う相手が人であると解釈しても、この歌は成り立つ。白馬の王子様でもいいし、くまちゃんでもいい。

モノやコトだっていい。自分の本当の願いを叶えてくれる何か。時には、それは、自分自身であったり、自分自身の影であったりするかもしれない。

"みんな"でワイワイガヤガヤ、楽しげな雰囲気。そこからレトリックを操りながら孤独な世界への引き込み線を張る。しかし、そこは本当に"ひとり"なのだろうか。誰かがどこかに居たからこそ、我々はひとりになれる。ふたりであるコトをどこかで知らなければ、ひとりになれない。林檎は、結局ふたりでいっしょに食べたのだ。ひとりで孤独になれるだなんて、思わない方がいい。