無意識日記々

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太古の象の太鼓の話

そうか、"最後の1行"は結局使われなかったのか…すっかり失念していたな…(ぶつぶつ)。

気を取り直して。前に言っていた80年代、90年代、00年代のプログレメタルの盟主新譜三連発のトリを飾るMastodonの「The Hunter」、期待以上の出来映え。曲はコンパクトにまとまっているが、まるで70年代のBlack Sabbathのような凄まじいオーラを感じる。スラッジコア風味も残ってはいるものの、これは21世紀の正統派ヘヴィメタルと呼んでよいだろう。

何より凄まじいのはブラン・デイラーのドラミングだ。よくそれだけ叩き続けられるな、と嘆息せざるを得ない嵐のようなフィル攻勢。少々ゆったりとしたリフ攻勢の曲でも彼が叩くだけで緊張感漲るサウンドに様変わり。当代随一の名手といっていいだろう。

21世紀のプログレメタルの最高の成功者は、しかし、やはりThe Mars Voltaであり、そのLed Zeppelin meets King Crimsonと謳われた初期のサウンドをボトムで支えていたのが、かのジョン・セオドアである。デイラーとはまた違った華のあるドラミングは、余りにも魅力的に過ぎてUtaDAの食指をも動かした。Kremlin Duskで叩いている彼である。

ヒカルのドラマーといえばヴィニー・カリウタとかジョン・ブラックウェルとかとんでもない超人たちが名を連ねるが、セオドアが起用されたのは光が当時のThe Mars Voltaサウンドに魅了されたからに他ならない。バンドの音楽の力が彼女を動かしたのである。

例えば、デイラーのパワーとテクニックが極上だからといって、光が彼を起用するとは思えない。Mastodonの音楽性は、光の感性には引っかからないからだ。一応同じ凄まじいドラミングをフィーチャしたプログレメタルという点では同じジャンルと言ってもいいかもしれないのに、さてどこがどう違うかといえばそれは「官能美の有無」である。要はエロいかエロくないか、だ。

このポイントは光の音楽の嗜好を把握する時に、"切なさ"と共に最重要事項である。音を聴いた時にセクシーだと思えるかどうか。レニー・クラヴィッツもそう、尾崎豊フレディ・マーキュリーもスティングもそう、一見バラバラな彼らは一様に存在自体がなまめかしい。歌や演奏も勿論だ。

Mastodonの男臭さは、MC5Motorhead、或いはテッド・ニュージェントのような系譜だろうか。サザンロック勢、レイナード・スキナードやBlackfootなんかもそうだが、幾らギターがメロディアスで泣きまくってても、光の好きなギタリストたち、レニークラヴィッツやスラッシュのような官能美は見られない。男なのにエロい。これはとても大事だ。セオドアのドラミングも、The Mars Voltaの官能的なサウンドの中で機能していたからこそ彼に白羽の矢が立った。

でも、その割にKremlin Duskのドラミングはあんまり官能的ではない。単純に、ハープシコードアルペジオが定型的なリズムを楽曲に与えている為曲構造が様式美に傾き過ぎていて彼の奔放かつ繊細な演奏をいかせる幅が足りなかったのだ。でも勿論楽曲の出来自体は素晴らしいのだけど。

そう考えると、光は自分の作る楽曲においてはまだまだ自分の好みの"官能美"を封じ込める事は出来ずにいるのかもしれない。復活した暁には、打ち込みに頼らない人間味溢れる官能的なサウンドを聴かせてくれるのかどうか…まぁそれにはエレクトリックギターで曲づくりしないといけないかな。光のギターソロとか聴いてみたいもんだわねぇ。