無意識日記々

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リア充しっかりしろ

昨日の2つのエントリーは要は「リア充しっかりしろ。ヲタクをやってる甲斐がない」という話だ。昨今のCD/DVD市場で目立つのはやはりアニメ関連なのだ。順位もそうだが、金額ベースだと更に驚異的。なぜアニソンという偏狭な筈のジャンルにここまで押されるのか。チャート最上位陣は悉くアイドルで、結局市場は2次元ヲタと3次元ヲタが買い支えているという感じ。

何より致命的なのは、楽曲の質でアニメソングやアイドルソングに太刀打ちできない事だ。要はヲタク相手の方が儲かるから数少ない才能もアニメとアイドルに流れている。ここ5年くらいこの潮流は変わってない。

昔は、音楽をやっているとなればもうちょっとイケてた筈だ。(いや言い回しから単語の選択から死語臭がプンプン漂うなぁ) 今音楽をやっているといっても余りにも"なんとなく感"が強すぎてかっこよくない。この10年で着実にフェスが定着している事だけは救いだが、目立った才能は生まれていない。ボーカロイドバーチャルアイドルといった無機質なコンセプトを苦労人の幼なじみ3人組という生々しいにもほどがある"人間らしさ"で料理したPerfumeの存在は、秀逸であったと共に"ここまで煮詰まっちゃったんだなぁ"と思わずにいられない。それはそれでよいんだけども。

宇多田ヒカルも、泰然自若としながらもこの潮流にうまく対処してきている。実際、デビュー当時より完全に「あのコ(重度の)ヲタクだよね」感が増量されている。テトリステクの話を横耳に聞き流してた頃とは、確実に時代が変わってしまったのである。

人間活動の実践や"Wild Life"という名称から「今のヒカルはリア充度をアゲにかかっている」と読み取る事は可能である。しかし、音楽家として、本当にそれでいいのかどうか。もしかしたら、ねえさんとして大御所感を漂わせつつ、時代を二歩位先回りしているのだろうか。リア充な音楽に才能が集まる時期がいつかやってくるのだろうか。

真性のヲタクとしては、まぁ結構どっちでもいい。新しかろうが古かろうが、いい曲、いいLIVEに接せればそれで十分至高である。70年代中期のプログレや80年代初期のNWOBHMを聞きながらやっぱこの時代の音は肌に合うなぁ、とか日々抜かしている時代遅れですらない人間にとっては、光の曲はただただひたすら"いい曲"に過ぎない。そこさえハズさなければ、ヲタクに近づこうがリア充な感じになろうが相変わらず好きである。