無意識日記々

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夜遅くまで仕事に従事してたとか

そういえば、Goodbye Happiness冒頭の『甘いお菓子』は実は"綿菓子"なんではないか、と漸く気がついたんだった。綿菓子だからその甘いお菓子は『消え』るようになくなるんだし、そのあとの『雲一つないSummer Day』も、雲を綿菓子と見立てると、ちょうど男の子の手元と頭上の大きな青空が同じ情景を描くのだ。いや〜なんで今まで気づいていなかったんだろ。これは巧いじゃないか。

なんていう枕でフェイントをかけつつ、今日もキプトラの話だ。

今取り上げたGBHの歌詞のように、ヒカルの歌詞においては固有名詞は常に揺らめいている。PHSBlackberryだなんて最早知らない人は知らないだろうし、綿菓子だって連想しない人も多かろう。現に私もそうだったし。

そういった、「特定しすぎてたり、特定していなかったり」という揺らめきの中で、キプトラの『十時のお笑い番組』はどのように捉えてみたらよいのだろうか。

2005年以上06年未満の当時、22時に放送していたお笑い番組はTBS系列の「リンカーン」だったそうな。ダウンタウンをはじめとしたお笑い芸人の皆さんが雛壇に並んでいる番組である。と言いつつ私は殆ど見たことがない。さて、この『十時のお笑い番組』は具体的に「リンカーン」とやらを指しているか否か。番組の内容を殆ど知らない私がちょっとだけ考えてみる。

どこからアプローチするかといえば、今までどおり歌詞の音韻だ。まず、『番組』は、恐らく先に立っていたであろう『ハングリー』と韻を踏む為に登場したとみる。とすると、既述の通り『仕事の疲れ癒』やすのも韻から要請されるので、何かそういった番組内容がいい。ドラマにバラエティー、ニュースにスポーツに色々ある中、お笑いを撰ぶのは必然とまではいえないまでもベターであるとはいえる。しかしそれより何より、『ホントは誰より』とほぼ同じ尺で入る言葉でなくてはならない。

しかし、もうひとつ考えなくてはいけないポイントがある。歌の主人公が"疲れを癒やす"為には、歌のその時点で疲れてる必要がある。夜に一人で何かの番組を見ているそのシーンを描く為には、一瞬で歌の世界を"夜"にしなければならない。先に『お笑い番組』まで歌詞が埋まっていたとして、残る文字数は『ホントは』の4文字だけ。ぴったりこの文字数でそのシーンを描いてしまうには、8時や9時や11時ではいけない。字数が合わないから。7時や8時や10時でないといけないのだ。そして、その中で如何にも仕事で疲れて帰ってきた感じを出す為には10時がちょうどいい。

とはいえ、音韻上はあんまり『じゅうじ』である必要はない気がする。別に『深夜の』なんかでもよかったのだ。尺も合ってるし。となると、やっぱり実在する"十時のお笑い番組"の影響は否めないかもしれないなぁ、というのが今の所の暫定的な結論でございます。