無意識日記々

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ビフォーアフターであたふた

さて、今私は自分で仮説を立てておきながらそれを自分で覆すという左足で右足を踏むような馬鹿げた隘路に陥っている。

具体的には、キプトラの2回のAメロの歌詞がどういう順序で出来上がってきたかという推理において、その起点として考えられるのが2文出てきてしまったという話だ。

『ホントは誰よりハングリー』

『毎朝弱気めな素顔映す鏡 退治したいよ』

の2文である。単純に音韻構成だけを考えると「退治」から出発した方がいいのだけれど、そもそも最初に置く文は音韻に囚れずより自然な日本語になるだろう、という推察に依拠すればそこはすぐさま「ハングリー」に軍配が上がる。つまり、それだけ「退治」の方は日本語として奇異に映るのだ。

そもそも、文章の意味が判然としない。そのまんまを読んでしまうと、退治するのは鏡になってしまう。ここをそう解釈してはいけない。弱気めな素顔映す鏡を例えば壊すというのなら、それは自分の弱い部分から目を逸らす現実逃避行動になってしまうからだ。この歌にはそぐわない。「(思わず)退治しちゃうよ」だったら、まだわかるんだが。光の歌においては、ホテロビにあるように鏡というアイテムはそこに映っている姿がどうであれ真実の自分を見いだす為に登場するのだから、ここで退治したいのはやはり弱気めな素顔の方だと解釈するのが妥当だろう。こんな注釈を考えなきゃいけない時点で日本語としてはやはり少々不自然だと考えざるを得まい。

また、その『弱気め』というのもちょっと耳慣れない語感である。すぐに思いつくのは、ただ『弱気』だったら尺が足りなかったのではないかという推理だ。『弱気めな』と同じメロディーであるもう一箇所は『少し(ィ)ヤに』だから韻を踏んでいる訳でもないし。

こう考え始めると、やっぱり「退治」の方があとから出来たのかな、となってくる。やや整合性のある見解として次のような過程が考えられる。最初この場所には同じような意味だが違う言葉が当てはまっていた。例えば「恨めしいよ」でも「ガッカリしちゃうよ」でも「なんとかしなくちゃ」でもなんでもいい。しかし、他の所を色々と構成しているうちにここは「大事」と韻を踏ませたくなってきて後から変更した、というプロセスだ。それなら少しは辻褄があってくる。

となると、もしかしたら『どんぶらこっこ』とも関連があるかもしれない。何しろこのフレーズは後々"鬼退治"に行く人のテーマソング(?)なのだから。

いやまぁどれも憶測の域を出ていないが、読者諸氏の積年の歌詞に対する違和感の解消に少しでも役立てられていれば幸いである。