無意識日記々

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闇姫様降臨から7年

今日はUtaDA初のショウケースギグからちょうど7年である。7年か。マット・ローディとはその頃からの付き合いだ。なんか他にもLIVE記念日ってたくさんあるのに私は何故か毎年2月23日には触れる割合が多い。何故なんだかなぁ。観たかった度がいちばん高かったからかな。

あれから状況は二転三転し、ライブハウスツアーはやったが契約は終了した。そして映像作品は音沙汰なし。まぁここまできたらいつでもいいからリリースしてくれ。NYCショウケースギグの特異な点は、唯一のきりやんプロデュースのUtaDALIVEだったという事。その一端はUU06でも味わうことが出来たが、他の曲はどんなだったのだろう。今となっては、知る由もない。今後もその時の映像を見れる可能性は低い。

でも、まぁいいや、LIVEだからね。これがパッケージされた商品だったらリリースしろよとなるけれど、NYCショウケースギグの映像はプロショットでない以上商品化は出来ないだろう。あれ、そこらへんについて英語メッセがあって俺それ訳したんだけど記憶がとんでるわ…なんて書いてたっけ光は。

それもまぁいいや、そんな訳なのできっちり商品化するつもりで収録したITFはちゃんと出しなさいよ、と。私はホノルルで観ているからまだいいんだが。よし、毎度のように自慢したぞ。

ただ、将来的には「宇多田光全活動記録集」みたいなもんも商品化してくれないかな、とは思う。せっかくここまで電脳が進化したのだから全部アーカイヴしてしまえばよい。

という発想は、コアなファンなら一度はもった事があるだろう。それとともに、光がそういう作品を気に入りそうにないという事も。過去の言動を書き留める事の大切さは昔説いていたが、それは決して"全部"ということはないはずだ。ひとりの女性として、そっとしておいて欲しい事もあるだろう。

でも、いちばん望ましいのはいつまで経っても光が活動を続けていて、ゆっくり過去を振り返る機会が与えられない事である。光がナマで歌ってんのに昔を懐かしんでいる場合じゃなかろうて。

もし光のナマの歌唱力が落ちれば、或いは「昔はよかった」にも意味を持たせられるかもしれない。が、衰えるのもまた味である。人と共に老いるのもまた人生だ。その時になって初めて、「生きてりゃ得るもんばっかりだ」がどういう哲学に基づいた発言だったのかを知るのである。

何かとっちらかった文章になってしまった。UtaDAの追憶というのは、今となってはほろ苦いものだが、アルバムを聴くとやっぱりエキサイトするんだよねぇ。今後もちゃんと誰でも手に入れられるような態勢を維持し続けて欲しい、とそう願わずには居られない。