無意識日記々

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あっさりとこってりその2

This Is The Oneの制作期間が短かった事は、端的に曲の短さに現れている。そんな単純なものかと言われそうだが、たぶんそうなんじゃないかなあ。

アレンジメントやサウンド・プロデュースまで外注するとなると、こちらから提供するのは骨格だけだから、特にミックスダウンの段階で…カタカナ多いな。

なかには、サビだけでなくBメロでも歌詞が繰り返しになっている歌がある。人によっては、それを手抜きとみる面もあるのではないか。過去にあまり例をみない手法なだけに。

それについて反論するよりも、そういったアイデアの密度の濃さが、EXODUS〜ULTRA BLUEHEART STATIONの時期に較べてあっさり気味である事をまずは認めてみる事にしよう。で、だ。前回の続き或いは焼き直しになるが、そういう力の抜き加減でアルバムを量産してもらった方がいいのか、或いは制作期間を長くかけてもいいから凝縮した密度の濃いアルバムを長いスパンでポツンポツンと発表してくれた方がいいか、どちらかという話だ。

世間一般(と言って何を指すのか我ながら書いていて不明だが)にとって宇多田ヒカルという存在は、嘗ても指摘したように、日常のサイクルの一部ではない。彼女のアルバムリリースやコンサートは毎度お馴染みというよりも、4年に1度のオリンピックみたいな、どちらかといえばたまのお祭り騒ぎだ。あクマでもそれは印象に過ぎず、ツアーはともかくアルバムに関しては12年間でオリジナル7枚のシングル集2枚、計9枚発表しているのだから十分過ぎる程なんだがしかしイメージはイメージだ。宇多田ヒカルは特別である。

復帰後も、今までのようなイメージを引きずるのだろうか。ひとついえるのは、契約が一本化された事で並行作業の懸念が払拭された事だ。『日本語のアルバムと英語のアルバム同時に作っているようなもん』なんて正気の沙汰ではない。そういった状況が解消されるのだから少しはリリースペースが上がる事が期待される。

後は、光の音楽活動に対する意識の変化だ。果たして、人間活動を通して得た経験なりスキルなりは、復帰後も継続するのだろうか。今までは日本語盤と英語盤の"二足の草鞋"だったが、これからは"音楽と何か"の二足の草鞋になるかもしれない。そうなるとますますリリースペースは遅くなるだろう、当たり前だが。

2年か5年かはわからないが、それ位の期間何かに熱心に従事しておきながらあっさりそれを辞めてしまえるかというと、なかなかそれは難しいんじゃないか。アーティスト活動無期限休止だからといって今現在の活動がさしあたって無期限かどうかは決まらないが、その気になれば本腰を入れる事も可能だろう。そして、それが人生全体に敷延するならば、音楽活動自体が"あっさり"になっていく可能性も出てくる。

尤もそれは"可能性として存在し得る"という程度の話だ。実際には、彼女がそうそう音楽から離れていられはしないだろうから。彼女が音楽を愛している以上に、音楽が彼女を愛しているからには、向こうから運命の方が歩み寄ってくる事だろう。そこは無理なんてしない方がいい。