無意識日記々

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何か呼び名が欲しいなこの衣装に

銀河鉄道といえば、もうひとつの銀河鉄道をモチーフにしたPVがあったな。travelingだ。この作品のヴィジュアル・インパクトは相当なもので、以後ヒカルのコスプレの一番手といえばトラベコスとなった。今やこのコスチュームのイメージはヒカル以外の人のものになってしまったのではないか、と思う位。今PVを見たらそれがヒカルとはすぐに気付かないかもしれない。言い過ぎ。

ヒカルはヴィジュアル・イメージを常に使い捨ててきた。いや別に捨てちゃいないか。一定の所に留まらないばかりか、完全に前後に脈絡がない。辛うじて髪の長さだけが時系列を示唆してくれる。まぁ、それはどのミュージシャンも似たようなものかもしれない。

私の感覚でいえば、よくまぁ次から次へと、という感想になる。小説だろうが漫画だろうがアニメだろうが、連綿と延々と続いていくものが好きなので、このぶった切りっぷりは少々面食らう。例えば星新一は掌編小説の大家であり、掌編ごとには何の連関もないのだが、数が千にも及ぶとなればそこには傾向や分布というものが否応無しに見いだせ、次第に"分類"というものが出来てくる。時代小説っぽいものやSFや御伽噺や、といった舞台背景で分けられるものや、話のオチの組み方のバリエーション、または登場人物のネーミングの違いなんてのもある。いわば、読めば読むほどパノラマが広がり、作品を群として捉える事でより興味深く楽しめるようになるのだ。

その点、ヒカルのヴィジュアル・イメージは過去十数年分の蓄積があるのだが、ひとつひとつに何の結び付きもない。言い換えるなら、他の時期にどんな見た目だったかという知識や情報を持っていても何の役にも立たないのだ。ファッション(流行)というのは元来そういうものかもしれないが、私がヒカルの見た目の話をあんまりしないのは、案外どうにも語りようがないからかもしれない。語彙がないだけだと思っていたんだけどね。

しかし、このtravelingのコスチュームは別の側面に於いて意義深い。先述のように、今やこれはヒカルのファンが着る格好である。今後のLIVEにおいても、いつでもどこでもこの格好をしてやってくれば、目立てる。今やもう映像として古典扱いだし、何より基本的に世俗から懸け離れたぶっとんだ衣装なので時代遅れになるという事もないだろう。DVDシングルが記録的な数字を売り上げるなどしてこのPVはファン以外の一般人にも認知される知名度を獲得した。即ち、非常に数少ない見た目だけで宇多田ヒカルファンをアピールできるコスチュームのひとつであり、そして最も有名なものなのだ。これを着る人は、途切れ途切れになるかもしれないが、途絶え切ってしまう事もまたないだろう。この衣装にまつわるエピソードは、ヒカルではなくファンの手によって綴られていくのだ。恐らく、年月を経ていく中でこの衣装はファンの間でどんどんと重みを増していくに違いない。ファンの歴史の象徴になる可能性があるのだ。ですので、これからもこれをコスプる皆
さん、尊敬します。頑張って下さいな。他力本願ですいません。