無意識日記々

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前世とゼンセ

昨夜のツイートはどこか機嫌がよくなさそうでどうしたものかと思ったのだが最後の「前世は森」ツイートに救われた格好。光に素敵と言わせるとは。しかし海山の食物連鎖の話は実際素敵だ。どうもありがとう。

しかし、NHKの"前世"修正話には不覚にも驚かされてしまった。てっきり、「幼いこどもがちょっと小難しい単語を頑張って使ってる感じ」を出そうと狙ってカタカナにしたのではないかと思っていたのだが、事情は全く逆で、ヒカルは漢字表記にこだわっていたようだ。うーむ、そういうケースがあろうとは夢にも思わなかった。ヒカル自身、例えばKiss & Cryで『リストカット』の一文を自主的に引っ込めるなど様々な状況に応じて総合的な判断を行ってきた印象があるが、流石に"前世"が引っ掛かるとは思っていなかったのだろう。

何故こんな当たり障りのなさそうな単語にNHKが反応したのか、ヒカルへのリプライはこの点に集中していた。私もわからなかったが、どうやら嘗て"前世ブーム"といえるものが(幾つか)存在し、些か社会問題化した事もあるようだ。真偽の程は定かではないが、転生を理由に自殺を試みる例もあったらしい。確かに穏やかじゃない。

だからといって、それを作品の歌詞に当てはめ修正を要請するとはちょっと行き過ぎな気がする。NHKだって転生を取り上げたドラマ放送した事があるだろうに歌だとマズいというねはあたらない。メトロポリタン美術館やまっくら森の歌の方が断然影響力が高いのに。全く関係ないが、「まくらさん」が死の象徴と宣われるのは「まっくら」とかけているのだろうか。まくらに顔を埋めたら確かにまっくらではあるが。余談Done。

恐らく、NHK側は結構軽い気持ちで修正を頼んだのかもしれない。宇多田ヒカルと童謡、という組み合わせに対して重いものを感じなかったのだろう。しかしヒカルの方は『「ゼンセはきっとチョコレート」でもダメなら「みんなのうた」あきらめようと思ってました』という位のギリギリの妥協だった。この話を聞いてゾッとしたよ。あの歌がみんなのうたで流れなかったら今頃どうなっていた事か。FoLが花男2で取り上げられないようなものである。そんな"危機"が昔存在したと今頃知ってオロオロしている始末の私であった。

斯様に、ぼくはくまという歌は軽んじてみられる傾向にある。仕方ない、と言うには余りにその存在が光にとって大きい。アーティストとしては自身の作品に対する愛情から一切引けない局面であった事は明白だが、それが感じ取られていたかどうか。思うに、NHKという"空間"においては修正を要求するのは極々"当たり前の"習慣だったのだろう。確かに、もしそうならヒカルが紅白歌合戦に出る事はないだろうな。いやでも結構いろんな番組に出てるか、UtaDA含め。

うーん、何だかよくわからなくなってきたが、出来れば修正なんてなかった方がよかったが、ひとまず現実は「みんなのうた」で放送されたのだから、結果オーライと言うべきだろうか。しかしNHKさん、気をつけてくださいね。