無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

このエントリも歯切れが悪いの(棒

『そこ歌ってみると分かるけど、実は歌詞のリズム感とメロディーのリズム感があまり合っていないのです。ダンスソングなのに言葉の歯切れが悪いの笑』

ヒカルがリリースした楽曲の不出来をここまでストレートに表現したのはもしかしたら初めてなんじゃなかろか。実に珍しい。あそこまで根詰めて曲を作る人が。

合ってないなら合わせればよかったのにと事後に云うのは容易い。要は思いつかなかったのだろう。もっと言えば、"力が入らなかった"のではないだろうか。

歌詞のリズム感とメロディーのリズム感と言うとわかったようなわからないようなだが、基本的には言葉の強勢が来る位置に最高音やビートのアクセント(今はダンスビートなので各拍の頭)が来るように、という事だろうか。

ここで技術的な説明を試みても仕方ない気がするので印象論で記述すると、要はメロディーに乗った歌詞を聴いた時に意味のある文章に余り聞こえない、という事だ。ひとつひとつの音節は聞き取れている筈なのに「え?今なんつった??」と訊き返してしまうような感じ。それがGBHのヴァースやブリッジには所々ある、と。

しかし元々宇多田ヒカルといえばそれが"個性"だと持て囃されてきたのだ。例のAutomaticの歌い出しなんかはそれだろう。そういった手法が"成功"となるか否かのラインは微妙な問題になるが、以後全体としてヒカルの歌詞は「自然な話し言葉の流れ」で歌詞を載せる事に重心を移していった感がある。その中で、従来なら歌詞に乗りようがなかった古典的な言い回しや日常的な表現を注入していった。そういう流れからすれば、GBHの"不備"はどうしても気になってしまったのだろうか。おいらは逆に「こうなっちゃうよなぁ」と受け入れてたのだが、では例えば遠い将来ヒカルがGBHをリメイクするかというと難しい。でもちょっと聴いてみたいかな。