無意識日記々

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まっくらまくらさん:序

領土問題が世間でも喧(かまびす)しいようだが、以前tweetでも述べたようにこの問題に対しては論理的に考えてはいけない。何故ならばそもそも"領有"という概念が破綻・倒錯しているからだ。論理とはそれを適用するシステム自体がConsistentであって初めて意味を為す。領有とは概念として成り立たない、即ち概念ではないのだからこの単語を発した者は真面目に考えれば考える程「戦争しかない」という結論に辿り着く。この問題を論理的に考えてはいけないのである。

ではどうすればいいか。笹の葉ラプソディで小泉がチェックメイトされたチェスの駒を胸ポケットに入れて難を逃れたように、ルールそのものをひっくり返したり、問題そのものを棚上げしたり、なだめたりすかしたりごまかしたりはぐらかしたり兎に角真面目に取り合わずお互いのやる気とか正義感とか使命感が摩耗するまでひたすらズルズルとズルく振る舞い続ける事だ。真面目に考えてはいけないのだから。

こういう所作が得意で仕方がない職業の人たちが居る。政治家である。普段国会答弁で我々を苛立たせている彼らの話術こそ、今述べたなだめすかしごまかしはぐらかしの奥義のオンパレードである。政治家という職業は、領土問題を"何とかしたりしなかったり"(解決する、ではない)する為にある職業であると言い切っていい。今こそ彼らの出番である。

ヴ王は「失政は政治の本質だ」と言い切った。当欄でも度々取り上げているこの名言が何を言わんとしているかといえばこれである。政治は問題を解決したりしない。その意味で、あらゆる問題に対して政治というアプローチは失敗する。しかしだからこそ必要なのだ(何だこの小幡績テイスト。ちなみに彼はPerfumeと共に宇多田のファンである)。領土問題で問題を"鮮やかに"解決しようとしてはならない。泥臭く鈍臭くきな臭くうやむやに曖昧模糊に問題自体を泥沼の中に沈め"なかったこと"にするのが真の政治の役割だ。彼らの真骨頂に期待しよう。

政治家でない我々は、無闇に問題を騒ぎ立ててこの"問題"を"解決"したがる人たちの思惑に乗らないようにしたい。関心を持ち、情報を整理して知識を共有した後は自分の意見とやらを持とうとせず無力感に苛まれながら歌を唄ったり漫画を読んだり球を蹴ったり泳いだりかけっこしたりまぁ色々と遊んでいよう。遊ぶというと何やら言われそうなので"文化的活動に勤しむ"と言っておこうか。

でもたまに文化的活動も政治にチクリと一刺しする事がある1971年のピンポン外交から米中国交正常化の流れはつとに有名だ。もう40年以上前か。1991年には大韓民国朝鮮民主主義人民共和国が合同統一コリアチームを結成し女子団体で難攻不落の中国を打ち破った。スポーツでは結構いろんな事が起こって過去に蟠っていた"問題"を"なかったことにする"例が幾つかある。

ミュージシャンも負けてはいられない。デモとかに参加するのは自由だけれどやはり音楽家なら音楽を奏でる所から始めよう。音楽には問題を解決する力なんてない。それは政治とかとよく似ている。しかし、その問題を一時忘れさせてくれたり、くよくよしないでいいと教えてくれたり、は時々する。まぁ、それくらいしか出来ないが、それくらいなら出来る、事もある。一時しのぎでしかないし無責任っちゃ無責任だが、せめて歌を聴いている時の5分間、ライブに没入している時の2時間くらいは頭を悩ます数々数多の"問題"たちから距離を置いてくれればいい、それ位の力の抜け具合から出発するのがいいのではなかろうか。

ありゃ、枕だけで話終わっちゃった。続きはまた次回。