無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

淡い藍の白昼夢

蝶々の話は興味深い。2回ツイートに失敗した時点でMessage from Hikkiを使えなかった点が悔やまれる。こちらからも提案だけでもしておけばよかったが、あそこは今はEMIのページだからアーティスト活動の一環になってしまう。認証済みIDとはいえ@utadahikaruからのツイート発信とは訳が違う。

ここらへんのTwitterに対する柔軟な変質もまた考慮に入れておくべきか。当初は期間限定の予定だったのが今やパーマネントともいえる位置を獲得している。ここまでは考えていなかったかもしれないが、商業的な告知を@u3musicと@hikki_staffで手分けした事がこのフレキシビリティに結び付いている。意図的だったとは言い難いが、お陰で人間活動中もTwitter利用にさほど心理的抵抗を感じずに済んでいるともいえる。2010年の時点で"@utadahikaru"名義という新しいポジションを獲得出来ていた訳だ。ある意味、宇多田ヒカル名義とも宇多田光名義とも違う独特の立ち位置である。言える事と言わない事のバランスが、Message from Hikkiともまた違っている。

あんまり関係ないが、週末に「宇多田ヒカルすげぇ」だか何だか言うまとめサイトのスレッドがやたらと宣伝されていた。細かいディテールが微妙に間違っていて、ああこういうのを見過ごしているうちに誤解が積み重なっていくのだろうなぁと溜め息をついていたのだが、よもやこれはステマではあるまいな。梶さんがまとめサイトの愛読者である事は周知の事実だろうが、ちゃんと言及しておかないと疑われるかもよ。

話が逸れた。蝶々の話題である。本来ならば、蝶が飛来した瞬間についてはもっと文学的な表現で纏めたいところだ。踏み込んで言えば、文学的瞬間とはそれである。結局、そのツイートは二度失敗し書くのを諦めたのであるが、その心理の推移がこの間time wilk tellの話をしようとして二度原稿を飛ばしてしまった私の心情と重なって妙に可笑しくなってしまった。気を取り直して、蝶の名をフォロワーの力を借りて特定に乗り出すという如何にもTwitterらしい行動に出る。流石にその影響力と拡散速度は凄まじく、瞬く間に特定に至った。こちらもツマグロヒョウモン、アカボシゴマダラ、アオスジアゲハと流していったが、正体はアサギマダラであった。名を確定する事は文学において極めて重要な作業である。言葉のイメージ喚起力も勿論そうだし、文脈上の価値の裁定も随分違ってくる。専門家の皆さんとのやりとりでもわかる通り、姿形は似ていてもアカボシゴマダラとアサギマダラでは9月の千駄ヶ谷で遭遇したという価値のありよりがまるで違ってくる。あとはヒカ
ルの記憶が過去に遡って錯覚されていない事を祈るのみだがBe My Last Blogの時に言っていたように、"正確な記録"に関しては年季の入り方が違うのでまず間違いなく大丈夫だろう。色々と読み甲斐のあるエピソードである。